平岡 久のホームページ>
<判例解説>
14 二酸化窒素環境基準告示取消請求事件−環境基準(告示) の処分性
東京高裁昭和六二年一二月二四日判決
(昭和五六年(行コ)
第七二号二酸化窒素環境基準告示取消請求事件)
(行集三八巻一二号一八〇七頁、判タ六六八号一四〇頁)
<出典−森島昭夫=淡路剛久編・公害・環境判例百選〔別冊ジュリストbP23〕(1994.04)36-37頁>
<事実の概要>
公害対策基本法九条一項による大気に関する環境基準のうち二酸化窒素にかかるものは〇.〇二ppm以下(一時間値一日平均値)・達成期間原則五年であったところ(昭和四八年環境庁告示二五号)、環境庁長官(被告、被控訴人)は昭和五三年七月一一日にこれを〇.〇四〜〇.〇六ppmの範囲内またはそれ以下・達成期間原則七年へと改定する告示を発した(昭和五三年環境庁告示三八号、本件告示)。
東京都の住民Xら一五名(原告・控訴人)が本件告示は基本法一条・九条・二七条に違反するとしてその取消しを求めて出訴したが、第一審判決(東京地判昭五六・九・一七行集三二巻九号一五八一頁、判タ四五一号六五頁)は、「本件告示による二酸化窒素に係る環境基準の改定は右政府の公害防止行政上の政策目標ないし指針を変更したもの」にすぎず「原告らの権利義務ないしその法的地位に変動をもたらすものと認めることはでき」ない等と述べて本件告示の処分性を否定し、本件訴えを却下した。
Xらは控訴し、第一審におけるとほぼ同様に、(a)
環境基準は行政上の努力目標ではなく、大気汚染防止法上の排出基準・総量規制基準と法的連動関係にあるなど、公害行政の法的基礎・法的目標であり法律上の許容限度・受忍限度を示すものであって本件告示は「国民の権利又はその法的地位に直接法的効果を及ぼす」、(b)
本件告示による環境基準の緩和は、@従前の各種規制により保護されていた「国民の健康上の諸利益を直接侵害する」、A「総量規制指定地域を限縮し、三号総量及び四号総量の数値を緩和し、総量規制基準値を緩和した」もので「国民の生命とその権利義務に直接影響を与える」、B公害健康被害補償法(以下、公健法)上の地域指定要件と連動して、公害健康被害者の「補償給付を受ける権利を侵害する」、等と主張した。
<判 旨>
控訴棄却。
(一) 「本件告示は、行政事件訴訟法三条二項に規定する『行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為』ということはできない」。「基本法第九条に則り環境基準を定める環境庁の告示……は、現行法制上、政府が公害対策を推進していくうえでの政策上の達成目標ないし指針を一般的抽象的に定立する行為であって、直接に、国民の権利義務、法的地位、法的利益につき創設、変更、消滅等の法的効果……を及ぼすものではなく、また、そのような法的効力を有するものでもないからであ」る。
(二) @「基本法の制定経緯に照らせば、環境基準は『法的効力』を有する規制基準ではな」い。A「排出基準及び総量規制基準は、…環境基準のみから直接的、自動的に決定されるものではない」。「環境基準と右各基準は重要な関連を有している」が、「環境基準が果たしている役割は……目標値ないし指針としての事実上の機能である」。B環境基準は法律上の許容限度・受忍限度を設定するものではない。
(三) @従前の各種規制により保護されていた「国民の健康上の利益」は国民一般の「事実上の利益」であり、控訴人らの「具体的な権利ないし法的利益が本件告示により侵害された」とはいえない。A「総量規制制度の運用に事実上の影響を及ぼすことは当然にあり得る」としても、本件告示は控訴人Xらの「具体的な権利ないし法的利益を侵害」するものではない。B公健法上の地域指定のための具体的な指標として窒素酸化物は現在用いられておらず、かりに将来用いられても「環境基準と補償法の地域指定要件との関係は事実上のものにすぎない」。
(四) 控訴人Xらは「本件告示を争う以外に自己の健康を確保できない旨をいう」が、「具体的な権利ないし法的利益の争訟をはなれて、ただ、政策上の達成目標ないし指針自体のみにつき、その当否に立ち入り司法判断することは、現行法制上できない」。
<解 説>
一 公害対策基本法(昭四二法一三二)上の環境基準は「大気汚染〔等〕に係る環境上の条件」について「人の健康を保護し、及び生活環境を保全するうえで維持されることが望ましい」
(公害基九条一項) 目標を具体的数値で表現したものであり、政府はこの環境基準が確保されるように公害防止施策を講じる努力義務を負う(同九条四項)など、公害防止行政ないし環境行政の「かなめ」・「起点」(原田・後掲A一〇一〜二頁)として重要な役割を果たすことが予定されている。
環境基準は従来の行政法学にいう法規命令と行政規則のいずれにも分類し難い現代的な行政手法の一つであり、規制・誘導等の具体的施策の目標を示す点では行政計画と共通する面もある(阿部・後掲一七五頁−「公害行政に特有な計画の一手法」)。本件訴訟は、取消訴訟(行訴三条二項)の対象性との関係で環境基準の法的性格が論じられた初めてのものである。
二 取消訴訟の対象性を肯定するための要件として、諸判決例はおおむね、(a)「公権力の行使」性のほか、(b)私人に対する効果の@直接性・A具体性・B法的効果性を厳格に要求してきている、といえる。本判決は(一審判決も)、判例の大勢に従いつつ、本件告示について、右の(b)のいずれも否定して、とりわけBの法的効果性の欠如を強調して、取消訴訟の対象性を否定した、と解せられる。
本判決は、環境基準は大気汚染防止法上の排出基準・総量規制基準に対して「事実上の機能」をもつにすぎず、公健法上の地域指定との関係も「事実上の」ものにすぎないとする。たしかに、環境基準は排出基準等の内容を一義的に決定するものではない。しかし、環境基準が示す数値を重要な考慮要素として排出基準・総量規制基準の設定・改定や公健法上の地域指定・解除が行われるべきことは法的に要求されているはずであるから(公害基九条一項・四項、大気汚染三条・五条の二・五条の三(とくに一項三号)、公健二条等)、そのかぎりで環境基準の「法的」効果、排出基準等との間の「法的連動関係」を語ることは可能であると見られる(畠山@、磯野、阿部・各後掲参照)。
もっとも、環境基準は排出基準・総量規制基準の設定・改定や公健法上の地域指定・解除との関係で一定の「法的」効果をもつとしても、私人の権利・法益を直接的・具体的に変動させる法的効果が与えられているとはいい難い。したがって、判例の大勢の基本的枠組みに従うかぎり、「法的」連動関係の肯定が取消訴訟の対象性の肯定に直結するわけではない(三辺・後掲一二八頁参照)。
三 環境基準の緩和に対する取消訴訟等の抗告訴訟については
(公法上の当事者訴訟・民事訴訟は別論とする)、つぎのような諸論点がさしあたり問題になる。
第一に、本判決は言及していないが、環境基準の改定は私人(事業者・住民)の権利・法益に対しては間接的または事実上の効果しかもたなくとも、取消訴訟・抗告訴訟の対象性を肯定する余地はなおある。私人に対する直接的・具体的な法的効果を与えられた行為であることを要求する最高裁判例(最判昭三九・一〇・二九民集一八巻八号一八〇九頁等)は旧行政事件訴訟特例法にいう「行政庁の処分」(狭義の処分)に関するものであり、現行法上の「その他公権力の行使に当たる行為」(広義の処分、行訴三条二項。同条一項も参照)の中に環境基準改定行為を右の後者に含めることは不可能ではないと見られる(但し、都築・後掲四九六頁参照)。
第二に、環境基準改定行為に広義の処分性が認められる場合の訴訟形態としては、まず「非定型の取消訴訟」としての「行政処分以外の公権力的な行政措置に対する取消訴訟」(宮田・後掲(三)一六四頁以下参照)が考えられる。また、本来は法的効果についてのみ「取消し」が語られるべきであるとすれば(なお、高木光
・事実行為と行政訴訟二七七頁・三三八頁等参照)、実質的には排出基準・総量規制基準の緩和や地域指定の限定・解除を事前に差止めるための、法定外抗告訴訟としての違法宣言(確認)訴訟等を想定することもできそうである。
第三に、取消訴訟については主として原告適格の問題として、法定外抗告訴訟についてはそれの許容性自体の問題の一つとして論じられてきたが、いかなる種類の抗告訴訟であっても「法律上の争訟」性をみたしている必要がある。この点については、まず主観的な法益関連性に関して、本判決が「国民の健康上の利益」を法的利益ではなく「事実上の利益」と解していることが問題になりうる。抗告訴訟により保護・回復されるべき利益は必ずしも行政法規上の保護利益に限られず(なお、最判昭六二・一一・二四判タ六七五号一一一頁の事例参照)、健康・生命にかかる利益は、従前の各種規制による保護法益ではないとしても、憲法または法秩序全体による保護法益であると見る余地は否定できないであろう。
また、紛争の成熟性(ないし狭義の具体的事件性)の有無に関しては、訴訟による利益救済の機会・可能性について事業者と住民とでは大きな違いがあることは十分に留意されるべきであり(処分性に関してであるが、畠山@、阿部・各後掲参照)、住民についても、環境基準の緩和に伴う大気汚染法上の排出基準(総理府令)・総量規制区域の指定(政令)・指定ばい煙総量削減計画と総量規制基準(知事)、公健法上の地域指定(政令)等の緩和・限定あるいは解除を争えるかなど、他の訴訟の可能性・実効性が問題にされてよいことになる(具体的判断は同一でないが、畠山@、阿部・各後掲による検討を参照。
なお、本件の紛争の成熟性について、畠山@A後掲は積極の方向と見られ、原田A・三辺・各後掲は結論として消極的である)。
四 本判決は取消訴訟の対象性に関する一定の理解に立って本件訴訟を不適法としたが、本判決のいう「現行法制」のもとでも、本件が「具体的な法的利益の争訟」たりえないのかを含めて、なお論じられるべき種々の論点があったものと思われる。それらは、行政処分以外の多様な行政活動、とりわけ規範定立行為や計画策定行為に関する抗告訴訟の許容性にかかわる諸問題とも多分に共通するところがある。
<参考文献>
本判決解説・評釈として
藤原静雄・ジュリスト九〇六号五二頁、三辺夏雄・自治研究六六巻九号一二一頁、園部秀穂・判例タイムズ七〇六号(昭和63年度主要民事判例解説)三五〇頁
本件一審判決解説・評釈等として
阿部泰隆「相対的行政処分概念の提唱(二)」判例評論二八四号(判例時報一〇四九号)
、磯野弥生・
昭和五六年度重要判例解説(ジュリスト七六八号)
、都築弘・ 昭和五六年行政関係判例解説、畠山武道@・
公害研究一一巻三号、 同A・環境法研究一八号、淡路剛久=田尻宗昭=浜秀和=吉田亮・
ジュリスト七五四号
その他
宮田三郎「環境基準について(一)〜(三・完)」千葉法学四巻二号・五巻一号・五巻二号、原田尚彦@「環境基準と公害防止計画」ジュリスト四九二号、同A・環境法、金沢良雄「環境基準」行政法の争点(旧版)、北村喜宣「環境基準」行政法の争点(新版)、松島淳吉「環境基準と規制基準」西原道雄=木村保夫編・公害法の基礎所収、淡路剛久・環境権の法理と裁判、田尻宗昭「環境基準緩和告示をめぐる問題点」ジュリスト六七三号,吉田克己「二酸化窒素環境基準問題をめぐって」同上、同A「環境基準」ジュリスト増刊総合特集15、畠山武道B「告示・通達」ジュリスト八〇五号
(平岡 久 大阪市立大学教授)