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最高裁判所(大法廷)昭和43年11月27日判決
=行政百選U[第5版]bQ53〔損失補償−平和条約による在外資産喪失と国の補償責任〕
昭和40年(オ)第417号・補償金請求上告事件
棄却
第一審→東京地方裁判所昭和38年02月25日判決(昭和35年(ワ)第801号)
控訴審→東京高等裁判所昭和40年01月30日判決(昭和38年(ネ)第528号)
上告人(控訴人・原告) 秋山藤元 外一名 代理人 大滝亀代司 外一名
被上告人(被控訴人・被告) 国
最高裁判所民事判例集22巻12号2808頁、訟務月報14巻12号1359頁、判例タイムズ229号100頁
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理 由
上告代理人大滝亀代司、同福間豊吉の上告理由について。
論旨は、要するに、原判決の以下の判断は憲法二九条三項の解釈を誤つたものという。すなわち、原判決は、まず、前段において、平和条約により日本国が連合国に対する賠償義務を承認し、本来ならば私有財産不可侵の原則により原所有者に返還されるべき在外資産を右賠償に充当することに対して国として何ら異議を唱えることなく、これを承認したことは、国が戦争損害の賠償義務履行という公共の目的のために自らこれを処分したのと結果において何ら異なるところがなく、したがつて、国は、かくして在外資産を喪失せしめられた国民に対し、平和条約自体に補償条項がなくとも、国内的には、憲法二九条三項の規定の趣旨に照らし、正当な補償をなすべき責務を有するものであるとして、その補償義務を肯認しながら、その後段において、憲法の右規定は、国が国民の財産権を保障し、これを公共の用に供する場合には正当な補償をなすべきであるとの一般的原則ないし方針を明らかにしたにとどまり、直接同条項により具体的な補償請求をなしうることを定めたものと解することはできないから、補償に関する法律の制定されていない現在、具体的な補償請求は未だこれをなし得ない、と判断している。しかし、原審の右後段の判断は、憲法二九条三項の解釈を誤つたものであり、よつて、憲法の違背があるというのである。
よつて按ずるに、当裁判所としては、原判決がその前段において肯認し、上告理由においても当然の前提として主張するところの、在外資産の喪失に対しては、国において補償をなすべきものとする前提そのものを認めることができず、したがつて、憲法二九条三項の趣旨について判断するまでもなく、上告人の主張は、その前提を欠くものとして、排斥を免れず、原審の判断は、結局、その結論において、正当として支持すべきものとする。その理由は、次のとおりである。
(1) わが国は、敗戦に伴い、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印し、連合国の占領管理に服することとなり、わが国の主権は、不可避的に連合軍総司令部の完全な支配の下におかれざるを得なかつた。わが国は、いわゆる平和条約の締結によつて、この状態から脱却して、その主権の回復を図ることになつたのであるが、同条約は、当時未だ連合軍総司令部の完全な支配下にあつて、わが国の主権が回復されるかどうかが正に同条約の成否にかかつていたという特殊異例の状態のもとに締結されたものであり、同条約の内容についても、日本国政府は、連合国政府と実質的に対等の立場において自由に折衝し、連合国政府の要求をむげに拒否することができるような立場にはなかつたのみならず、右のような敗戦国の立場上、平和条約の締結にあたつて、やむを得ない場合には憲法の枠外で問題の解決を図ることも避けがたいところであつたのである。在外資産の賠償への充当ということも、このような経緯で締結された平和条約の一条項に基づくものにほかならないのである。
ところで、戦争中から戦後占領時代にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあつては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであつて、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかつたところであり、右の在外資産の賠償への充当による損害のごときも、一種の戦争損害として、これに対する補償は、憲法の全く予想しないところというべきである。
(2) 平和条約一四条(a)項は、わが国の賠償義務について、いわゆる役務賠償のほか、在外資産の処分をあげているが、これらの在外資産の処分については、イタリア平和条約等に見られるような敗戦国において補償すべき旨の規定または補償するよう配慮すべき旨の規定を設けていない。その趣旨とするところは、補償問題については、少なくとも国際的に、日本国を拘束する必要はなく、日本国が国内問題として適当に処理するところに委ねようとするにあり、したがつて、平和条約上、国の補償義務の生ずる余地はないといわなければならない。
ところで、平和条約一四条(a)項2(1)には、各連合国は、日本国民の在外資産を「差し押え、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する」旨規定している。この規定の趣旨とするところは、もともと外国の主権に基づき当該国の法制の支配下におかれ、戦争中から戦後にかけて敵産として接収管理されてきたわが国民の所有に属する在外資産を右規定に基づいて当該国が処分し得べきものとするにあつて、さきに述べた平和条約締結の経緯からいつて、わが国が自主的な公権力の行使に基づいて、日本国民の所有に属する在外資産を戦争賠償に充当する処分をしたものということはできず,この場合、わが国は、日本国民の右資産が当該外国において不利益な取扱いを受けないようにするために有するいわゆる異議権ないし外交保護権を行使しないことを約せしめられたにすぎないものといわなければならない。平和条約は、もとより、日本国政府の責任において締結したものではあるが、同条約中の右条項のごときは、上述の経緯に基づき不可避的に承認せざるを得なかつたところであつて、その結果として上告人らが被つた在外資産の喪失による損害も、敗戦という事実に基づいて生じた一種の戦争損害とみるほかはないのである。
これを要するに、このような戦争損害は、他の種々の戦争損害と同様、多かれ少なかれ、国民のひとしく堪え忍ばなければならないやむを得ない犠牲なのであつて、その補償のごときは、さきに説示したように、憲法二九条三項の全く予想しないところで、同条項の適用の余地のない問題といわなければならない。したがつて、これら在外資産の喪失による損害に対し、国が、政策的に何らかの配慮をするかどうかは別問題として、憲法二九条三項を適用してその補償を求める所論主張は、その前提を欠くに帰するものであつて、所論の憲法二九条三項の意義・性質等について判断するまでもなく、本件上告は排斥を免れない。
よつて、民訴法四〇一条、三九六条、三八四条二項、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎)
上告代理人大滝亀代司、同福間豊吉の上告理由
第一点 原判決(東京高等裁判所昭和三八年(ネ)第五二八号)は、『従つて国はかくして在外資産を喪失せしめられた国民に対し、平和条約自体に補償条項がなくとも、国内的には憲法第二九条第三項の規定の趣旨に照らし、正当な補償をなすべき責務を有するものといわなければならない』と述べて明確に国の補償義務を肯定しながら、他方、これに続く判決理由において『しかしながら、憲法の前記規定は、国が国民の財産権を保障し、これを公共の用に供する場合には正当な補償をなすべきであるとの一般的原則ないし方針を明かにしたに止り、直接同条により具体的な補償請求をなし得ることを定めたものと解することはできない』と述べ、次いで『そして在外資産に対する補償の措置を講ずる場合国の財政状態を慎重に勘案する必要のあるのは勿論のこと、今次大戦中及び終戦後の困難な経済建直し時期を通じ、直接間接戦争に基因して各方面に亘り国民が蒙つた犠牲と苦痛との関係において損害負担の公平を考慮すべきことは、国民感情の上からも当然であるから、この意味で社会政策的経済政策的配慮をも加え、納税者たる国民が真に納得し得る範囲において合理的に補償の程度、方法、手続等を決定すべきであつて、それは正に法律の規定をまつべきものと考える。然るところ、現在このような補償に関する法律は制定されていないのであるから、具体的な補償請求は未だこれをなし得ないものといわざるを得ない』と説き、『従つて直接憲法第二九条第三項の規定に基づき補償請求権を有することを理由とする控訴人らの本訴請求はいずれも失当である』旨の判断を下しているのであるが、右は要するに、憲法第二九条第三項の規定を原則規定に過ぎないものと解釈し、本件補償請求のためにはそのための実定法を必要とし、かくの如き実定法の制定なき今日においては、直接右憲法の条項に基く本件補償請求権は発生しないという憲法解釈を設け、この憲法解釈に立脚して下された判断に外ならないのである。
然しながら、かくの如き憲法解釈に基いて判断を下した原判決は、民事訴訟法第三九四条に照らし、判決に憲法の解釈の誤があり、仍つて憲法の違背があるものと判定されなければならないものと考えられるのである。その理由は、
(一) 先づ第一に憲法第二九条第三項成立の由来にこれを求めることが適切であろう。
一九五五年(昭和三〇年)五月一日号ジユリスト掲載の憲法成立史第六頁及び第五頁によれば、日本国憲法草案なるものは、昭和二十一年二月十三日、連合国最高司令部のホイツトニー准将等がマツカーサー最高司令官の草案を時の吉田茂外務大臣及び松本蒸治国務大臣に手交したことに起源を発し、しかも右マ草案の手交に当つては、日本政府に対し、右草案中の基本原則(Fundamental Principles)と根本形態(Basic Forms)とは厳格に守つて貰いたいとの注文がつけられたのであつたが、憲法第二九条第三項の条文としては、国家学会雑誌第六十八巻第一、二号(昭和二十九年)に掲載されたマツカーサー憲法草案全文によれば、現行憲法第二九条第三項が『私有財産は、正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる』と規定されているのに対比し『私有財産は、正当な補償の下に、国がこれを公共のために用いることができる』という案文であつたのであつて、僅かに「国が」(by the State)の二字(英語では三字)が削除されて現行憲法の条文となつたのである。而して憲法第二九条第三項の規定が合衆国憲法修正第五条(甲第四号証)(記録第八四丁)(但し記録第八五丁の訳文標題の次に括弧内に十二月十五日に「権利章程」と称せられるものから採択されたとの記載は、十二月十五日に採択され、「権利章程」と称せられるものを形成するとの記載に変更したものであることは控訴審における控訴人準備書面「第二回」の通り)に範を取つたものであることは、憲法第二九条第三項の規定が他の憲法諸規定と共にマツカーサー草案に発足したものである以上は、それが合衆国の法律思想に渕源するものであることは論を俟たず、特に、憲法第二九条第三項と合衆国憲法修正第五条末尾の規定、すなわち、私有財産収用の規定とを比較すれば容易にこれを会得し得る点に鑑みるも極めて明瞭であるのみならず、学者の著書、例えば今村成和著国家補償法(昭和三二年有斐閣)第五頁にも『なお、国家補償制度の発展については、仏及び独を最先進国とするから、本稿においても両国の制度の比較考察を主とし、英米については、補充的にふれるに止めたい。但し、米国の連邦憲法修正五条は、わが憲法二九条三項のモデルである点で、特別の注意を払う必要があろう』と記述せられ、米国憲法修正第五条は正に日本国憲法第二九条第三項の親であるとの感を深くさせられるのである。
然るに、合衆国憲法修正第五条は、同国では、原則規定に非ずして、それ自体が実定法の性格を具備する規定であるとせられ、国に対して補償を請求せんとする者は、右修正第五条によつて、合衆国請求裁判所に国を被告として補償請求の訴を提起することができるものとされているのである(合衆国請求裁判所とは、一九五二年有斐閣発行の英米法辞典一〇八頁によれば、合衆国政府に対して請求権を有するものが満足を与えられるような有効な手段を設けることを目的とするものであつて、裁判長一、判事四より成り、その判決は合衆国最高裁判所によつて審査される。州にも同種の機能を営む特別裁判所又は請求裁判所たる業務を行う通常裁判所があると説明されている)が、甲第三号証(記録第七〇丁乃至第七六丁)(訳文と共に別添付属書類の通り再録)に示す合衆国請求裁判所判例は、本件上告事件の場合と同じく国の適法行為に基く損失補償請求の事例であつて、私有財産の公共のための徴収(収用)を認めた場合の実例であると同時に、国が公共収用を認めた場合の国に対する補償請求は、合衆国憲法修正第五条がそれ自体実定法であるという解釈によつて、同条の下に直接にこれをすることができること、換言すれば、国に対する補償請求権は、そのための実定法制定の要なく、直接同憲法修正第五条によつて発生するものであるということの証拠を供するものである。
翻つてこれを日本国憲法第二九条第三項の場合に擬するに、右憲法条項に取りての親とも目せられ、モデルともうたわれている合衆国憲法修正第五条にして既に(1)、原則規定に非ずして、それ自体が実定法としての性格を具備し、及び(2)、他にそのための実定法の制定を要せずして、右修正第五条により、直接国に対する補償を請求することができるものである以上は、右修正第五条の衣鉢を継いだものとされる日本国憲法第二九条第三項も亦(1)、原則規定に非ずして、それ自体が実定法としての性格を具備し、及び(2)、他にそのための実定法の制定を要せずして、憲法の右条項により、直接国に対する補償を請求することができるものと解釈することは、充分合理的であると共に、甚だ適切であると考えられる。
叙上、憲法第二九条第三項成立の由来に基いて具さに原判決を検討すれば、原判決は、憲法の解釈の誤があり、仍つて憲法の違背があるということに帰着するの外はないのである。なお、前記甲第三号証(別添附属書類の通り。但しその訳文は甲第三号証に添附の記録第七七丁乃至第八三丁記載の訳文について、多少字句を訂正して作成したものであつて、訳文中の傍点は上告人等の代理人において施したものである)に示す合衆国請求裁判所の判例は、合衆国市民(この判例の場合は帰化合衆国市民であるが、合衆国市民である限り、この場合帰化市民であると否とは全然問う所はないのである)がその私有財産に対して、合衆国の適法行為に基いて損失を被つたがために、右市民において合衆国を相手取つて損害補償請求の訴訟を同請求裁判所に提起したことによつて起つた事件の判例であるが、同事件においては、被告(合衆国)は請求棄却及び略式裁判の申立をなし、原告(右市民)からもこれに対して略式裁判の申立をしたのに対して、同裁判所は、裁判長を含む五人の裁判官の内、マツデン裁判官の意見に他の四人の裁判官が同意して『帰化市民は同人の財産が損害を被り及び盗まれた場合は、連邦憲法修正第五条により補償請求の権利を有するものである(entitled to Compensation under the Fifth Amendment to the Federal Constitution)』との判決を下し、併せて、被告及び原告の双方からのそれぞれの略式裁判の申立は、双方共これを却下したのであつて、就中、直接憲法に基いて、損害補償の請求をすることができると判決した点が最も重要である。これによつて、これを観るに、日本国憲法第二九条第三項が合衆国憲法修正第五条とその体系を同じうし、且つその条文においても甚だしくそれに類似し、しかも、国の当該行為が公用収用に当るものであることを認めた点において、前記判例と原判決とは揆を一にしている関係上、日本国憲法第二九条第三項を解釈するに当つては、憲法の当該条項に基いて直接に補償請求権が発生することにつき、尠くとも右修正第五条の解釈を類推適用することに充分なる合理性が認められるものと信ぜられるのである。
(二) 第二にはその理由を基本的人権の本質に基く憲法第二九条第三項の解釈に求むることができる。
日本国憲法は第十章最高法規の題下に、基本的人権の本質(第九七条)、憲法の最高法規性(第九八条)及び憲法尊重擁護義務(第九九条)という憲法上の三大指針を掲げ、就中、第九七条は、この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである旨を規定するものであるが、他方、第三章国民の権利及び義務の題下においても、第十一条は『この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる』との明文を設け、これによつて、日本国憲法が国民に保障する基本的人権なるものが、侵すことのできない永久の権利として甚だ強固な基盤の上に座するものであることは極めて明瞭であつて、ここに基本的人権の本質が存するのである。この本質に基いて憲法第二九条第三項を解釈してこそ、そこに始めて、同条項に規定する補償というものとこの補償に対する請求権というものとの「存在の理由」(レイゾン・デートル)が明確に浮び上つて来るものと考えられるのである。
現行憲法は、一七条(国家賠償)、二九条三項(損失補償)および四〇条(刑事補償)に、国家補償の根拠を定めている。すなわち、明治憲法時代と異り、今日においては、国家補償は、憲法によつて保障される制度となつた(今村成和著国家補償法四八頁)。このことは、わが国においては、国家補償法が、国家権力に対する個人の権利の保障として、特に重要な意味を有していることを示している。すなわち、わが国の近代化は、個人の権利の確立なくしては、期待し得られない。憲法が、個別的な基本権の保障の外に、一般的な原則規定を繰返し掲げている(一一条、一二条、一三条、九七条)のもその為めであるといつてよい。国家保障は、基本権の保障の最後の裏付けでありそれが、過去のわが国においては、著しく欠けていたのであつた(同著四九頁)。
憲法第二九条第三項がそれ自体実定法の性質を有し(すなわちそれ自体実定法の性格を具備し)、補償請求のための実定法の制定がなくとも、直接右憲法の条項によつて、補償請求権が発生するということは、上告人等において第一審以来主張して来た所である。勿論、そのための実定法の制定ある事項に関しては、当該実定法によるべきことは、当然の事理であるが、実定法を欠く場合であつても、憲法上の補償請求権は直接憲法の条項によつて発生するということが上告人等の変りなき主張である。而して右の主張については、上告人等は、控訴人準備書面(第二回)中、控訴理由(補足)第四点(記録二六三丁及び二六四丁)に述べた所を、上告理由として反覆主張するのである。特に、明治憲法が、所有権に対し、公益のため必要な処分を行うに当り、法律をもつて規定すべきことを定めるだけで、補償を要件としていなかつたのに反し、日本憲法は、収用の根拠条項自体において「正当な補償」ということを条件として掲げているという杉村章三郎東大名誉教授の所論並びに入江俊郎最高裁判所裁判官が、最高裁昭和三六年(あ)第二六二三号、昭和三八年六月二六日大法廷判決に対する補足意見中に、『わたくしは、この場合には、補償の必要を主張する当事者は、直接に憲法二九条三項に基づいて、正当な補償を請求し得るものと解する、或いは、法律または条例で損失補償を定めていないときは、これを請求し得ないと説く者もあるが、わたくしは憲法上補償を必要とする場合は、法律または条例でこれを定めておくことが当然であると思うけれども、もしこれを欠いた場合には、直接に憲法二九条三項に基づいて補償を請求し得べきであり、裁判所に出訴した場合は、裁判所は、何が正当な補償に当るかを審理、判断すべきであつて、かように解することが基本的人権の保障を定めた憲法の精神に適合する所以であると思うのである』と垂示せられた所は、上告人等において、上告理由として改めてここにこれを援用するのである。
入江裁判官の右解釈(同裁判官は昭和二六年(オ)第一八六号、最高裁昭和三五年一〇月一〇日、大法廷判決においても、同様の解釈を表明せられ、奥野裁判官の意見も基本構造について見れば、これとほとんど異なるところはない「ジユリスト臨時増刊一九六三年六月号六七頁及び六八頁」)は、本第(二)項の上告理由の冒頭において『第二にはその理由を基本的人権の本質に基く憲法第二九条第三項の解釈に求むることができる』と述べた所と趣旨を同うするものと認められるのである。
次に、既述の如く、国家補償の根拠を定める憲法一七条、二九条三項及び四〇条の三者の内、一七条と四〇条とには、均しく『法律の定めるところにより』との規定を設けて、そのための実定法を必要とすることを明示するに拘らず、独り二九条三項には、かような規定なきは何故であろうか。答えて曰く、それは、今村成和著国家補償法四九頁にも『一七条および四〇条が、内閣草案にはなく、衆議院で加えられた規定であるということは(宮沢・二三二頁三一九頁)、この憲法の制定経緯に鑑みれば、可成り、注目に値する所であろう。すなわち、現行憲法秩序の全体を、当時の国民が自力で生産し得たか否かに論なく、国家賠償は、新憲法に、必然的に定めらるべき制度だつたのである』と記載された如く、一方、一七条と四〇条とが内閣草案換言すれば、マツカーサー原案になかつたのに対比して、他方二九条三項はマ原案以来厳存し、既述の如く、二九条三項成立の由来に徴し、両者は自らその体系と、従つてその解釈とを異にしたが故であるという理由が成立すると同時に、右の三者を何れも基本的人権の傘下に規定する以上は、二九条三項の補償請求にも、そのための実定法を絶対に必要とするものであつたとすれば、同条項中にも亦「法律の定めるところにより」との規定を設くる必要があつたのであり、現に、二九条二項には、財産権の内容は「法律でこれを定める」と明定して置きながら、二九条三項には、実定法を必要とする旨の規定は設けられていない点から考えれば、二九条三項の補償請求には、そのための実定法を制定することは補償請求の必須要件ではないから、二九条三項には「法律の定めるところにより」という規定を設けなかつたのであるという解釈が成立しなければならない。尤も二九条三項の如き補償に関しては、新憲法制定前既に実定法の実施を見た事項もあるが、それは偶ま々々新憲法制定前にかような実定法が存在していたに過ぎないから、新憲法の実施に伴つて、どうしても二九条三項の補償請求のための実定法を必要とするものならば、同条項中にその旨の規定を設けなければならなかつたものと謂わなければならない。
更らに、基本的人権の保障については、我妻栄東大名誉教授はジユリスト一九五五年(昭和三〇年)一月一日号三七頁に『新憲法における基本的人権を保障する規定を通覧し、これを旧憲法における同様の規定と対比すると、そこに著しい進展のあることを発見するであろう』と前置して、三九頁中に『日本国憲法は、普通の法律をもつてしても制限することのできない基本的人権の存在を宣言している』と述べているが、清水伸編著逐条日本国憲法審議録第二巻憲法第十一条の部(二四一頁)によれば、山崎岩男委員(日本進歩党、衆委七・一五)が、
『現行憲法(明治憲法)は自由権に対しては法律以上の権利というものを与えて居ない。即ち立法権と云うものを制限してない。斯様に私考えて居るのでありますが、第十条(草案)(憲法第十一条となつた)を見ますると「国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」と云うように書いてありますので、これは立法権をも制限する趣旨の規定であるかどうか、御尋ね申上げたいと存じます』
との質問(但し右質問中の括弧内の字句は、上告代理人において施した註である)を発したのに対して、
金森徳次郎国務大臣は
『国民の権利は、この憲法の特に許して居る範囲以外に於きましては、立法権をも制限する趣旨を以て保障して居る訳であります』
と応答しているのである。
以上縷説する所により、基本的人権の本質は概して明確となつたものと愚考するのであるが、要するに、原判決に言うが如く『平和条約自体に補償条項がなくとも、国内的には憲法第二九条三項の規定の趣旨に照らし、国は正当な補償をなすべき責務を有する』と判断しながら、補償に関する実定法の制定なき故を以つて、公用収用に対する補償の請求を拒否するという憲法解釈を採ることは、憲法の規定を空文化し、既述の如き本質を有する「侵すことのできない永久の権利」を侵害することになるから、原判決には憲法の解釈の誤があり、仍つて憲法の違背があると謂わなければならない。
一九六五年(昭和四〇年)四月一日号ジユリスト四九頁中に、林修三前内閣法制局長官は『憲法第二九条第三項をプログラム規定とする点は,私も賛意を表したいが、今日では、これを実体的な規定と解するのがむしろ多数説であることは周知のとおりである』と述べているが、実体的規定説(請求権発生説)が多数であると否とに拘らず、右第二九条第三項の正当な解釈は飽くまで基本的人権の本質に基いてこれをなさなければならないと考えられるのである。
(三) 第三にはその理由を、原判決が憲法第二九条第三項の補償請求のために実定法を必要とする理由の不合理性並びに右不合理性に基く憲法解釈の誤りに、求むることができる。
原判決は『在外資産に対する補償の措置を講ずる場合国の財政状態を慎重に勘案する必要あること』『今次大戦中及び終戦後各方面に亘り国民が蒙つた犠牲と苦痛との関係において損害負担の公平を考慮すべきこと」は国民感情の上からも当然であるから、この意味で社会政策的経済政策的配慮をも加え、納税者たる国民が真に納得し得る範囲において合理的に補償の程度、方法、手続等を決定すべきであつて、それは正に法律の規定をまつべきものと考えると述べているが、本件訴訟は、原判決事実にも記載ある如く、請求金額合計四、三八四、三〇八円也に、年五分の割合による法定利息を加算するに過ぎない補償を国に求むる請求事件であるから、国がこの補償を支払うとしても、国の財政状態を慎重に勘案するとか、国民の損害負担の公平を考慮するとかいうような大問題にはならないのである。本件訴訟は、目下在外財産問題審議会において審議中の在外資産に関する補償要求とは全然別個の補償請求事件である。然るに原判決が在外資産に関する補償要求をも対象として判決するに至つたことは全く不合理のものと謂わざるを得ないのである。
上告人等は、昭和十八年十一月、カナダにおいての抑留から開放されて帰国したが、帰国早々軍の指定工場において労働し、一般国民と同様、戦争の犠牲と苦痛とを蒙つたのであるが、これに加うるに、そのカナダにおいて有していた財産は平和条約によつて賠償に充当せられ、一般国民に比し、二重に損害を負担させられ不公平であるから、この不公平を除去するためにも本件補償支払の早期実行を切望するものである。
一九六五年四月一日号ジユリスト四六頁において、林修三前内閣法制局長官は「在外財産補償問題と憲法第二九条」の題下に『むしろこの規定(平和条約第一四条(a)2(I))の適用を受けるのは全体の在外資産の中のごく一部分であるが、在外財産問題の象徴として、在外財産問題はもつぱら、この規定を中心として論ぜられている』と述ぶると共に、四九頁において『わが国の在外財産の大半を占めるのは、朝鮮、台湾、樺太などの旧植民地と、満洲、中国本土などに所在したものであるが、これらは平和条約第一四条のらち外で云々』と発表しているが、これらは政治問題であつて、これが解決のために原判決の言うが如き立法を必要とすることがあつても、それは憲法二九条三項に基く本件補償請求のためには、憲法の右条項の外に、そのための実定法を必要とするや否やの解釈問題とは別問題である。然るに原判決が本件補償請求のために前記政治問題解決のための如き立法を要するものとする憲法二九条三項の解釈を行い、それに基いて判決をしたことは、憲法の解釈の誤あり、よつて憲法の違背あるものとなさざるを得ないのである。
以上所論の上告理由により、上告人等は、原判決が憲法第二九条第三項に規定する補償請求のためには、そのための実定法を必要とするとの解釈を採り、この解釈に基いて判決をしたことは民事訴訟法第三九四条に規定する憲法の解釈の誤があり、よつて憲法の違背があり、右の憲法解釈の誤及び憲法の違背が原因となつて、原判決がなされたことになるから、原判決を破毀相成るよう、茲に上告理由を上申するのである。
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