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盛岡地裁昭和31年10月15日判決
〔処分性−岩手県市町村立学校職員昇給延伸条例〕
昭和30年(行)第3号・岩手県条例第20号市町村立学校職員の給与等に関する条例の臨時特例に関する条例取消等請求事件
一部棄却、一部却下
原告 S 外一一名
被告 岩手県知事・岩手県・岩手県人事委員会
行政事件裁判例集7巻10号2443頁
主 文
被告岩手県に対する、原告佐藤田二郎の請求中、被告岩手県知事が昭和二十九年三月三十一日なした同年岩手県条例第十九号「一般職の職員の給与に関する条例の臨時特例に関する条例」の公布処分中第七条に関する部分の無効確認を求める部分、及びその余の原告ら十一名の請求中、被告同知事が右同日なした同年岩手県条例第二十号「市町村立学校職員の給与等に関する条例の臨時特例に関する条例」の公布処分中第七条に関する部分の無効確認を求める部分はいずれもこれを棄却する。
被告岩手県に対する、原告佐藤田二郎の、前記岩手県条例第十九号中第七条の無効確認を求める部分及びその余の原告ら十一名の、前記岩手県条例第二十号中第七条の無効確認を求める部分はいずれもこれを棄却する。原告ら十二名の被告岩手県に対するそれぞれ別表第三記載の金員及びこれに対する昭和三十年三月二十五日から完済まで年五分の割合による金員の支払を求める請求はいずれもこれを棄却する。
被告岩手県知事に対する、原告佐藤田二郎の、前記岩手県条例第十九号の公布処分中第七条に関する部分の取消を求める予備的訴、及びその余の原告ら十一名の、前記岩手県条例第二十号の公布処分中第七条に関する部分の取消を求める予備的訴はいずれもこれを却下する。
被告岩手県知事に対する、原告佐藤田二郎の、前記岩手県条例第十九号中第七条の取消を求める予備的訴及びその余の原告ら十一名の、前記岩手県条例第二十号中第七条の取消を求める予備的訴はいずれもこれを却下する。原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎の被告岩手県人事委員会に対する、同原告らの別表第三記載の各教育委員会に対してなした昇給措置をとるべき旨の請求を拒否した右同各教育委員会の処分の取消を求める予備的訴はいずれもこれを却下する。
前記原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎の被告岩手県人事委員会に対するその余の予備的請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告ら十二名の負担とする。
事 実
原告ら訴訟代理人は、「(一)原告佐藤田二郎の請求として、(1)被告岩手県に対し、被告岩手県知事が昭和二十九年三月三十一日なした同年岩手県条例第十九号「一般職の職員の給与に関する条例の臨時特例に関する条例」の公布処分中第七条に関する部分及び右条例中第七条のいずれも無効であることを確認する。(2)右請求の理由がないときは、予備的に被告岩手県知事に対し、右条例の公布処分中第七条に関する部分及び右条例第七条を取り消す。(二)その余の原告ら十一名の請求として、(1)被告岩手県に対し、被告岩手県知事が同年同月同日なした同年岩手県条例第二十号「市町村立学校職員の給与等に関する条例の臨時特例に関する条例」の公布処分中第七条に関する部分及び右条例中第七条の無効であることを確認する。(2)右請求の理由がないときは、被告岩手県知事に対し、右条例の公布処分中第七条に関する部分及び右条例第七条を取り消す。(三)原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲及び佐藤田二郎の請求として、右(一)(二)の請求の理由がないときは、被告岩手県人事委員会に対し、(1)同原告らがそれぞれ別表第三記載の各教育委員会に対してなした昇給措置をとるべき旨の請求に対し、右同各教育委員会が別表第二記載の日時それぞれ昇給措置をとることを拒否した処分はこれを取り消す。(2)右原告らがそれぞれ右各教育委員会のなした拒否処分につき、被告岩手県人事委員会になした不利益処分に関する審査請求に対し、同被告が昭和二十九年十二月十一日同日付却下通知書をもつてなした右各審査請求を却下する旨の処分はこれを取り消す。(四)原告ら十二名の請求として、被告岩手県は原告らに対しそれぞれ別表第三記載の金員及びこれに対する昭和三十年三月二十五日から完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。(五)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに右請求の趣旨(四)につき仮執行の宣言を求め、
その請求の原因として次のとおり述べた。
一、原告らはそれぞれ別表第一記載の学校に勤務する教育公務員であるところ、その給料、給与、勤務時間、勤務条件に関し、原告佐藤田二郎に対しては昭和二十八年岩手県条例第四十八号「一般職の職員の給与に関する条例」(以下給与条例と略称する)がその余の原告ら十一名に対しては同年岩手県条例第四十九号「市町村立学校職員の給与等に関する条例」(以下給与等条例と略称する)が適用されている。
しかして職員の昇給につき、右給与条例第十四条及び給与等条例第十二条は、「職員が現に受けている昇給を受けるに至つたときから左に掲げる期間を良好な成績で勤務したときは、その者の属する職務の級における給料の幅の中において、直近上位の号給に昇給させることができる。一、現に受ける給料月額と直近上位の給料月額との差異(以下差額と略称する)が七百円未満である者にあつては六月以上、二、差額が七百円以上千五百円未満である者にあつては九月以上、三、差額が千五百円以上である者にあつては十二月以上」と規定している。これによれば原告らはそれぞれ昇給該当者であり、別表第一記載の級号の直近上位の級号に昇給する地位にあつた。
二、ところが昭和二十九年三月二十四日被告岩手県知事は後記イ、ロの内容の条例案を議案として第二十一回岩手県議会に提案したところ、翌二十五日賛成者多数をもつて可決、条例が制定せられ、次いで同知事は同月三十一日、昭和二十九年岩手県条例第十九号「一般職の職員の給与に関する条例の臨時特例に関する条例」(以下臨時特例第十九号と略称する)及び同年岩手県条例第二十号「市町村立学校職員の給与等に関する条例の臨時特例に関する条例」(以下臨時特例条例第二十号と略称する)として、それぞれ県報をもつてこれを公布し、同年四月一日から施行された。すなわち、
イ 右臨時特例条例第二十号は、その第七条において、
「給与等条例第二条第二項に規定する教育職員については、それぞれの教育職員について左の各号の一に該当する場合には、同号に規定する期間を経過した場合でなければ昇給させることができない。但し給与等条例第十二条第三項に該当するものを除く。
一、この条例施行後初めて昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間に六月を加えた期間。
二、前号の規定の適用を受けた次に昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間。
三、前号の規定の適用を受けた次に昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間に六月を加えた期間。
前項各号に規定する期間内に昇格させた場合においては、昇格したことによりそれぞれ同号に規定する期間を経過して昇給したものとする。」
と規定し、
ロ 右臨時特例条例第十九号もその第七条において右と同一趣旨の定めをなしている。
三、しかしながら前記臨時特例条例第二十号及び同第十九号の各七条は次に述べる理由でいずれも違法である。
(一)右各条例の制定手続が法律に違反している。
1 旧教育委員会法第六十一条以下の規定等に違反している。
イ 旧教育委員会法第六十一条によれば、教育委員会は、法令により地方公共団体の議会の議決を経べき事件のうち教育事務に関するものの議案の原案を、地方公共団体の長に送付するものと定め、同法第六十三条の三によれば、「第六十一条に規定する事件については、地方公共団体の長は、同条の規定による教育委員会の原案の送付をまつて、当該事件に係る議案を地方公共団体の議会に提出することを常例とする」と定めている。同法が特に明文をもつて、教育委員会の教育事務に関する議案の原案送付権を定めた所以のものは、地方公共団体の各種委員会中独り公選制とされていた教育委員会の使命、すなわち不当な支配に服することなくその独立性を竪持して、教育行政の運営につき直接当該地方公共団体に対し責任を負うものとされているところから、教育事務に関する最も重要な条例その他の議案を議会に提案するに際しては、教育委員会の意見を特に強力に反映せしめ、これを尊重せしめんとするにあるのであつて本来議案の提案権は教育委員会に独占せしめても差支えないのであるが、地方公共団体の長の権限と調整するため直接教育委員会をして提案せしめることなく、教育委員会において原案を作成の上これを長に送付し、長がこれを議会に提案する仕組としたのである。それ故右教育委員会法第六十三条の三の規定は、全く独立した行政機関相互間の権限に関する規定であり、単なる地方自治体内部の意見調整若しくは諮問といつた性質のものではない。右規定の手続を践むことは教育事務に関する条例の制定その他議案の成立について固有必要の要件である。
従つてこの教育委員会の原案送付権の性質に鑑みるとき、同法第六十三条の三にいわゆる「常例とする」とは、議案の提出が重大かつ緊急やむを得ない場合で、しかも天災地変等不可抗力により教育委員会が原案を送付することが事実上不可能の場合か、少くとも教育委員会において著しくその権限を濫用して原案を送付しない場合に限る趣旨と解すべきであり、これを不当に緩やかに解し、右原案送付を待たずして濫りに提案することは許されないものといわなければならない。
ロ ところが前記各臨時特例条例の制定に際し、被告岩手県知事は、岩手県教育委員会から原案の送付を受けないまま、独自の議案を岩手県議会に提案したのであるが、かかる条例制定の実質的必要性のなかつたことは後述のとおりであるところ、それはさて措き、当時教育委員会の原案送付を待つ余裕のない程緊急かつ重大な事態にあつたのではない。現に右議案提案直前までの県教育委員会と被告知事との話合では、教職員の昇給問題については年間に処理すべき懸案事項とし、話合によりその間の結論を得るまでは昇給問題は従前どおりの措置をして行くことになつていたのである。それにもかかわらず、同年三月十七日に至り突如として被告知事より議案内容を提案するようにとの要望に接した県教育委員会としては、右申入が余りに突然であり、所要の資料も整備されておらず、しかも事は複雑多岐で慎重に検討を要する問題であるため、今直ちに結論を得ることができないから、従前どおりの懸案事項として留保されたい旨回答した。もとより県教育委員会としては県財政の窮乏の事実を知らないではなく、財源の節減に協力しないという態度で臨んだわけではないのであつて、ただかかる昇給の延伸という措置は全国的に嘗て例を見ないところであり、しかも岩手県における教職員の実際の給与水準は国の基準に比し必ずしも高くはなく、若しかかる措置がとられると、むしろ多数の者が国の基準により低位となる虞が多分にあるため、県下一万三千の教職員の給与の実態を調査検討した上でなければ軽々に結論を出し得ない実情にあり、しかも右各条例の制定によつて期待し得る予算の節約も県当局が考える程大きくはなく、純県費として支出されるものの節約額はせいぜい二千万円程度で県財政上それ程大きな影響がなくかえつて教育効果に重大な悪影響を及ぼす虞があると考えられたので、かかる条例の制定には多分に批判的であつた。それはともあれ、教育委員会は給与の実態調査のためと、更に教育公務員特例法第二十五条の四第二項の規定により、職員の給与その他の勤務条件に関する議案の原案作成については、予め各市町村教育委員会の意見を聞かなければならないとされているため、これに要する日数として僅か一ケ月の猶予を求めたのである。県教育委員会のこのような態度は、教育行政につき直接県民に対して責任を持つ立場としてまことに当然であつて何ら責めらるべき理由はない。しかるに被告知事はこの教育委員会の正当な要請を無視し、かかる重大な議案を、それ程差し迫つた事態でもないのに、教育委員会の原案送付を待たずに提案したのであり、旧教育委員会法第六十一条以下の規定及び地方自治法第二条第十一、十二項、第十四条第一項の規定、ひいては憲法第九十四条に違反するものといわなければならない。
2 地方公務員法第五条第二項の規定に違反している。
岩手県議会が前記臨時特例条例第十九号案につき被告岩手県人事委員会の意見を聞かず、また同第二十号案については意見を聞いたが、被告人事委員会の意見は右条例制定に反対であつたにかかわらずこれを無視して議決したのは違法である。すなわち、地方公務員法第二十六条は、人事委員会をして職員の給料表が適当であるか否かにつき、地方公共団体の議会及び長に報告せしめ、給与を決定する諸条件の変化により、給料表に定める給料額を増減することが適当であると認めるときは、合せて適当な勧告をすることができるものとし、更に同法第五条は、人事委員会を置く地方公共団体においては、条例を制定し又は改廃しようとするときは、当該地方公共団体の議会において人事委員会の意見を聞かなければならないと定めている。これは人事委員会に職員の勤務条件等についての保障機関たる役割を課し、かつその意見を尊重することを義務付けた規定であると解すべきである。従つて人事委員会の意見を聞かないことは法律上の義務違背であり、また意見を聞いても人事委員会が反対の意見である場合は、かかる条例を制定すべきではない。
(二)前記各条例制定の実質的必要性がない。
被告知事の右各臨時特例条例提案の理由の一は、昭和二十八年十二月実施にかかる初任給二号引下との均衡を図るという給与制度上の理由であり、その二は、当時における、被告岩手県の財政的理由であるとされているが、当時その何れの理由に基くにせよ右各臨時特例条例を制定する実質的必要性は存しなかつた。
1.給与制度上の理由について、
イ 右各臨時特例条例制定当時における岩手県の教職員の給与の実態は次のとおりであつた。
昭和二十八年十二月三十一日以前における初任給基準が「国の例による」ものとされていたのに、これより一律に二号高の初任給で任用されていたことは事実であるが、それは新たに任用される者についてであつて、従来の職員についてではない。従来の教職員については、昭和二十四年四月及び十二月に各一号宛二回にわたり一斉に引き上げられたが、その結果その給の最高額に達する期間が早く、昇給に要する必要年数が不足するため、いわゆる頭打の状態になつて昇給に二倍の期間を要することになつた。そのため一号又は二号実質的に低下している者もあつた。
また昭和二十六年一月一日ベースアツプの際規定どおり実施すれば四ないし九級の者について、調整一号引下げて切替えるべきところ、本県においては、十級以上の者についても、一号引下げて切替を実施したので、前記各臨時特例条例制定当時においては単に一号高の者もあり、また逆に前記頭打該当者として更に一号引下つた者も相当数あつた。それ故国の基準より二号高と目される者は必ずしも多くはなく、全体の三〇ないし四〇%にすぎなかつた。
ロ 前記各特例条例が提案された昭和二十九年三月当時及び右各特例条例施行後の昭和三十年、三十一年の各四月一日現在における岩手県教職員の給与と他県教職員の給与を比較すれば、昭和二十九年四月一日現在において東北六県中第四位であり、右各特列条例による昇給延伸の結果は昭和三十年以降漸次その影響を現わし、特に勤続年数の少い者においてその影響が著しい。全国各県の昭和二十九年三月一日現在の師範学校及び短期大学卒業の教職員と岩手県師範学校卒業者の給与を延号俸にして比較した場合、前記の傾向は同様に看取されるのであつて、岩手県の給与は何時も全国的に見て下位にあり、東北は概して低いが、その中でも特に良好ということはない。
ハ 岩手県における人件費の一般財源に対する割合は、東北六県中特に高いことはなく、昭和二十九年度の如きは最下位にあり、全国的に見ても決して高くはない。このことは人件費中教職員の給与の占める割合についても同様であり、特に岩手県の場合のみ顕著であつたとはいえない。昭和二十八年十二月七日自治庁は被告知事に対し「特に人件費中教員給については他府県に比較して相当上廻つている」旨勧告をした事実があるけれども、岩手県の如き地域広大にして交通不便かつ人口稀薄な県においては、教員数が絶対数において若干多くなるのは当然であつて、かかる要素を度外視し、単に人口類似府県との比較において断定することは誤りである。
ニ 以上の如き教職員の給与の実態であつたところ、被告知事らがこれに対する認識を誤つていたことは、前記各臨時特例条例実施の結果生じた矛盾ないし不合理に徴し明瞭である。
〔1〕 果して右各特例条例実施後において、
右各特例をそのまま適用すれば、国家公務員たる国立学校の教職員に比し、二号又は一号低下するという不合理を生ずることが判明したため被告岩手県としても昭和三十年二月教育委員会の要請により右不合理是正の措置として千六百十五人分の給与引上に要する予算約六百万円の計上を余儀なくされた。
〔2〕 同様事情にある者は実際は更に多く、昭和二十九年四月一日以降現在までの間に合計二千百十八人に及ぶ大量の人員についてもいわゆる不合理是正を実施せざるを得なくなりまたその外旧制大学、新制大学卒業者は四十五歳、短期大学卒業者は四十歳、新制大学一年修了及び新制高校卒業者は三十五歳以上の者について、国立学校教職員の給与に比し二号又は一号低下する状態であつても、不合理是正を行わず特例条例を適用されている者が約七百人あり、更に採用時に国立学校教職員と同等の初任給適用を受けて基準どおりの昇給昇格を行つていたもの約千二百人が特例条例の適用除外になつているのであつて、これらの総計約四千百十八人に及び、今後更に多数の者につき不合理是正を実施しなければならない実情にある。
もつとも給与等条例第十二条第二項給与条例第十四条第二項には特別昇給の規定があり、これによつて不合理を是正する措置が講ぜられたかの如くであるが、右特別昇給は、「勤務成績が特に良好である場合」に限定されているので、勤務成績に関係なく昇給措置を講ずることは不可能である。なお各臨時特例第七条第一項但書において「但し給与等条例第十二条第三項に該当するものを除く」等の除外例を設けているのは、恰も特別昇給をなすことができるかの如くであるが、右は給与等条例第十二条給与条例第十四条の各第二項の特別昇給とは全然異り、いわゆる頭打の状態にある者についての規定であつて、その他の者はこれにより何ら救済されていない。
2 財政的理由について。
イ 岩手県の赤字は昭和二十七年度五億四千万円、二十八年度六億円であるが、これは全国的一般的傾向であり、独り岩手県に限つたことではない。岩手県は昭和二十七年度における赤字府県三十五のうち第十一位であり、二十八年度は赤字府県三十六のうち第十三位であつて、岩手県のみが特に赤字財政に苦んでいたとはいわれない。
ロ 岩手県の昭和二十八年度最終予算の教育費中小、中学校を例にとれば、二十一億五千七百三十八万円で、そのうち国庫支出金十億七千八百六十九万円、義務教育費関係平衡交付金十一億三千九百万円、合計二十二億千七百六十九万円である。これにより昭和二十八年度の最終予算小、中学校関係の総体的経費二十一億五千七百三十八万円を差引けば、六千三十一万円の余剰となる。これによつても少くとも小、中学校の義務教育費関係では県の一般財政に負担をかけていないことが明らかである。
次に高等学校関係では、昭和二十八年度最終予算によれば、五億七千六百四万円、平衡交付金関係三億三千五百三万千円、差引二億四千百万九千円が県費支出である。その他の教育関係費は五億六千四百五十八万円で平衡交付金八千百六十万円、従つて差引県負担四億八千二百九十七万五千円、教育費三十二億九千八百万円のうち純県費六億六千三百六十七万四千円、右のうち教育関係収入を差引けば、四億二千七百八十八万円である。
右の如く教育費全体のうち県負担分は一三%の四億二、三千円であるから、そのうち教育公務員の昇給昇格に要する金額はその〇・七%にしか当らない。
ハ その後前記臨時特例条例を実施した結果判明した節減額は年間一億四千百三十万円であるが、そのうち義務教育関係につき、年額国庫負担分は四千九十五万円であるから差引約一億円となるところ、これより平衡交付金及び高等学校関係の授業料収入を差引けば二千万円となり、結局教職員関係給与の引下による節減額中純県費として節減できるのは僅かに二千万円にすぎない。このような僅少な金額の節減しか期待できない前記各臨時特例条例を緊急に制定しなければ県財政が破綻に頻するという如き切迫した事態であつたとは到底考えられない。
ニ 被告知事らは専ら財政の節約のみに重きを置いているが、これを適用される教職員の立場から見ると、前記各特例条例がそのまま実施された場合、例えば短期大学卒業の教育公務員がなお今後三十年勤務するものと仮定すれば、給与関係で年約一万千百三十円、三十年間で合計三十三万三千九百円の損失となり、退職手当については約二万千四百五十円、恩給については約五万五千四百四十円の損失となる。以上の算定に当つては、いずれも最低限度に計算しているので、今後の期末勤務手当の増加、三十五年間勤務した場合、恩給支給年限が長い場合をも考慮に入れれば、以上の損害額は更に増大すること明らかである。このように右各臨時特例条例の制定実施により期待し得る財政の節減と、一方これによつて教職員の被る経済的不利益とを比較考量するとき、かかる条例の制定の当否は自ら明らかであるといわなければならない。
四、以上述べたとおり、前記各臨時特例条例は制度的にもまた財政的にもこれを制定実施しなければならない実質的必要性がなかつたばかりか、その制定手続において重大かつ明白な違法を犯しているからして、右各条例中教職員の昇給期間を六ケ月宛二回にわたり延伸する旨を定めた各第七条の規定は無効であり、少くとも取り消し得べきものといわなければならない。
ところで右各条例は被告知事の公布処分によつて初めてその効力を生じたのであるから、右公布処分は右条例の制定自体に存する前記違法を承継するものといわなければならず、従つて被告知事の右各条例の公布処分中各第七条に関する部分もまた違法であり、その違法もまた前同様重大かつ明白であるから無効であり、少くとも取り消し得べきものといわなければならない。
五、しかして原告らは、前記各臨時特例条例の施行により、昇給請求権又は昇給請求権を取得するという期待権、少くとも法律上保護に値する昇給に関する利益を侵害された。
1 公務員一般の昇給に関する利益の保障については、
イ 憲法は国民に最低限度の生活を営む権利を保障し(第二十五条)、特に勤労者については団結権、団体交渉権、その他団体行動権を保障し(第二十八条)、これが実現のため一般勤労者については、労働組合法等労働三法があり、勤労者はその地位の向上のため罷業権を頂点として強力な実力行使に出ることができる。従つて一般私企業においては、労働基準法に基く最低の基準を定める外、労働条件は労働者と使用者とが対等の立場において決定すべきものとし、これを労使の実力の場に任せている。
ロ ところが地方公務員については争議行為を一切禁止され(地方公務員法第三十七条)、僅かに職員団体の結成及び団体交渉権を認められているにすぎず、それとても争議権の裏付けのない以上実際上微弱な力しか持ち得ない。しかも一方において地方公務員は厳格な服務規律により拘束され、その全力を挙げて職務の遂行に専念すべく、かつ営利企業等に従事することができないとされている。
そこで地方公務員法においては、争議権を剥奪した代償として、一般勤労者であれば争議権等の実力行使をもつて闘い取ることが保障されている事項について、勤務条件等人事行政に関する根本基準を確立したのである。すなわち同法第二十四条は「職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならず、給与は生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定めなければならない」とし、第二十五条は、給与に関する条例には給与表及び昇給の基準を規定すべきことを命じている。
このような条例の規定によつて保障される公務員の利益は、当然法律の保護するところであり、若しこれが単なる事実上の利益ないし反射的利益にとどまるならば、地方公務員法第三十七条が憲法の保障する基本的人権たる争議権を剥奪したこと自体違憲となるわけで、同条を合憲であると解するためには、条例により規定せられた昇給の基準に基き公務員の受ける利益は、法律上保障されたものと解する外はない。
ハ これを他面より考えるに、公務員は任用によつて特別権力関係に入り、その活動はあらゆる面において強く制限を受ける代わりに、その身分が強く保障され、殊にその給与については、生活の唯一の基礎である関係上、最も強く保障さるべき性質のものであるが、一方において官庁の組織は厳格な上級下級の階級制度に分れており、公務員は、その勤務年限、勤務成績等に応じ順次上級に昇給せしめる仕組みになつていることは、地方公務員法第二十三条、教育公務員特例法第三条の三の規定に徴しても明らかである。しかしてかかる職階制の下においては、昇給は逐年実施されることを当然のこととして期待しているのであつて、この場合一定条件に該当する者について昇級昇格させることができる旨定められていても、それは任命権者の任意に左右し得ることではなく、右条件に適合する限り必ず昇級昇格せしめる義務があるものといわなければならない。それ故任命権者としては、昇給条件に該当する者のあつた場合には、請求を待たず当然昇給せしめるべきであり、まして請求のあつた場合は右条件に該当する限り、昇給せしめるべきものでこれを拒否することは許されない。
ニ 以上により昇給に関し公務員の受くべき利益は、権利又は少くとも法律上の利益であること明らかである。若し然らずとするならば、違法に昇給の利益を侵害された場合、公務員としては他に何らの救済手段がないことになる。もつとも地方公務員の身分保障機関としては人事委員会又は公平委員会があるが、地方公務員法第四十六条以下の規定に基く勤務条件に関する措置の勧告は、法律的には何ら強制力がないので、この程度の保障は争議権剥奪の代償としては余りに微力である。それ故右利益の侵害に対しては司法的救済を求め得べきものといわなければならない。
2 しかして前記給与等条例及び給与条例の下において原告らの有する一定の条件の下に昇給する権利ないし利益は、条例所定の昇給期間の最終日到来前においては一定の期間良好な成績で勤務すれば、昇給請求権を取得するという期待権であり、右期間経過後においては現実化した昇給請求権である。仮りに然らずとするも条例所定期間経過前においては、一定の期間良好な成績で勤務すれば、昇給の利益を享受する資格を取得し得るという意味において、また右期間経過後においては、昇給の利益を享受する資格を取得したという意味において、法律上保護さるべき利益といわなければならない。原告らは右各条例の規定に基きそれぞれ別表第一記載の日時その記載の級号に昇給したのであるが、右昇給以来所定期間を良好な成績で勤務したから昇給該当者であり、かつ右各条例によれば昇給の時期は、一月一日、七月一日又は十月一日と定められているので、原告らはそれぞれ別表第一記載のとおり、前記給与等条例及び給与条例の施行された昭和三十年四月一日又は少くともそれぞれ昇給発令のあつた各最終の該当年月日において、直近上位の級号に昇給する権利少くとも法律上の利益を取得したものである。
しかして右各条例の施行により、原告星清美、豊巻勲、佐藤田二郎は本訴提起当時昇給に要する期間経過前であつたから昇給に対する期待権を、その余の原告らはすでに期間経過後であつたから、現実化した昇給請求権そのものを侵害されたのである。
六、以上前記各臨時特例条例第七条及び右各臨時特例条例の公布処分中第七条に関する部分は前述のとおり、当然に無効であり少くとも取り消し得べきものであり、これがため原告らは前述のとおり昇給に関する権利ないし法律上の利益を侵害されているのである。
しかして右各臨時特例条例は一般不特定多数者を対象とするのではなく、原告ら特定教職員のみを対象としていることは右各条例第八条に「給与等条例(第二十号の場合。第十九号は給与条例)施行後において新たに教育職員となつた者についてはこの条例は適用しない。」と定めていることにより明白であり、また、右各条例の公布処分も法律等の公布処分と異なり、議会の制定した条例にして違法であるときは地方公共団体の長は地方自治法第百七十六条の規定に基きこれをそのまま公布しないで再議に付させ、再議の議決において更に違法あるときは出訴しても是正しなければならないのであるから、右各条例第七条及び右各条例の公布処分中第七条に関する部分はいずれも通例の法令及びその公布処分と異り行政訴訟の対象となるものといわなければならない。
よつて被告岩手県に対し、原告佐藤田二郎は右臨時特例条例第十九号の公布処分中第七条に関する部分及び右特例条例中第七条の無効であることの確認、またその余の原告ら十一名は右臨時特例条例第二十号の公布処分中第七条に関する部分及び右特例条例中第七条の無効であることの確認をそれぞれ求め、右各請求にして理由がないときは予備的に、被告岩手県知事に対し、原告佐藤田二郎は右臨時特例条例第十九号の公布処分中第七条に関する部分及び右特例条例第七条の取消、またその余の原告ら十一名は右臨時特例条例第二十号の公布処分中第七条に関する部分及び右特例条例第七条の取消をそれぞれ求める。
七、以上の請求にして理由なきときは、原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎は予備的に次のとおり請求する。
1 右原告ら四名はそれぞれ別表第二記載の日時別表第三記載の所轄教育委員会に対し前記給与等条例及び給与条例の定めるところにより速かに昇給の措置をとられたき旨を請求したところ、右各委員会は別表第二記載の日時前記各臨時特例条例に従つて処置せざるを得ないとの理由で、昇給措置をとることを拒否した。それで右原告らは別表第二記載の日時被告岩手県人事委員会に対し右昇給拒否処分が不利益処分に該当するものとして、地方公務員法第四十九条第四項の規定に基き審査請求をなしたところ、被告人事委員会は、昭和二十九年十二月十一日任命権者たる右各教育委員会において何らの処分を行つていないから審査請求の基礎たる処分が存在しないとの理由で右審査請求を却下した。
2 しかしながら前記各臨時特例条例の各第七条は前記の理由で違法であり、無効又は取り消し得べきものであるから、右各教育委員会としてはすべからくこれを無効又は取り消し得べきものとして取り扱い、前記給与等条例及び給与条例の規定に従い、昇給の措置をとるべき義務があるにかかわらず、昇給の手続をとることを拒否したのは明らかに不利益処分であり違法であるから取り消されるべきである。従つて被告岩手県人事委員会が右拒否処分を是認し、右審査請求を却下した処分もまた違法であり取り消さるべきである。
3 よつて右原告らは、被告岩手県人事委員会に対し、前記所轄教育委員会のなした昇給措置請求の拒否処分の取消及び被告岩手県人事委員会のなした不利益処分に関する審査請求の却下処分の取消を求める。
八、原告らは前記各臨時特例条例の施行により前述のとおり、昇給請求権ないしは利益を侵害された結果それぞれ別表第三記載の損害を被つた。
1 被告岩手県は国家賠償法の規定に基く右損害の賠償の義務がある。
イ 右損害は、被告岩手県の首長たる被告岩手県知事が、前記各臨時特例条例案の提案及び右各条例の公布処分という公権力の行使に当り、故意又は過失によつて生ぜしめたものであるから、被告岩手県は国家賠償法の規定に基き、原告らに対し右損害を賠償する義務があるものといわなければならない。被告岩手県知事は地方自治法第百七十六条の規定に基き、右各臨時特例条例の制定につき異議を述べ、これを再議に付する手続をとらせなければならなかつたのにこれをなさなかつたのであるから、少くとも過失の事実は明らかであり、従つて機関のなした不法行為により生じた損害につき被告岩手県は賠償義務のあること当然である。
ロ また右損害は前記各臨時特例条例に賛成の議決をした各議員の故意又は過失によつて生ぜしめたものである。県議会議員は地方公共団体たる被告岩手県の公権力を行使する公務員であるから、その職務を行うに当り原告らに被らしめた損害については、給与負担者たる被告岩手県においてこれが賠償の責に任じなければならない。
ハ 仮りにそうでないとしても、被告岩手県人事委員会は前記各臨時特例条例が無効ないし取り消し得べきものであることを知りながら、原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲及び佐藤田二郎の申し立てた前記不利益処分に関する審査請求を却下したのであるから、右は故意に基く不法行為であり、従つて被告岩手県は、俸給給与の費用負担者としての責任上、別表第三記載中右原告らの被つた損害につき賠償する義務がある。
2 仮りに被告県が国家賠償法の規定による損害賠償義務がないとしても、民法第七百三条の規定に基き原告らに対し不当利得返還の義務がある。何故なれば被告県は、前記各臨時特例条例の実施により原告らが当然昇給して得べかりし額の半額(市町村立学校職員給与負担法第一条、義務教育費国庫負担法第二条によりその半額は国庫の負担となる)の支払を免れもつて法律上の原因なくして原告らの労務の提供による利益を受け、これがため原告らに対し、同額の収入を喪失させて損害を及ぼしたのであるから、被告県は、別表第三記載の金額の半額を原告らに返還する義務があるものといわなければならない。
3 よつて原告らは被告岩手県に対しそれぞれ別表第三記載の金員及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三十年三月二十五日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告らの本案前の答弁に対し、
一、被告ら主張一の条例自体の無効確認若しくは取消を求める点について、
1 被告岩手県知事のなした前記各臨時特例条例の公布処分はそれ自体独立した行政処分であり行政訴訟の対象となり得る。条例は議会の議決があつたのみでは単に自治体内部の意思決定があつたにとどまり、公布のない限りその効力を生じないのであつて、これが効力発生の要件たる公布処分は、議会の議決とは全く独立した地方公共団体の長の権限に基く行政処分であり、しかも再議に付させないで公布した以上議会の議決を適法と認めてなしたものであることは勿論である。しかして議会の議決たる条例の制定それ自体に内在する違法は、公布処分に承継せられるから、条例の制定自体に存する違法を理由としてその公布処分の効力を争い得ること明らかである。
2 条例は一般にこれを行政処分とはいい得ないけれども、前記各臨時特例条例は前述のようにその各第八条において、これが適用を受ける対象者を、給与等条例及び給与条例施行以前に採用された教職員のみに限定している。
一般に法令が直接には権利を侵害する効果を生ぜず法令に基いて更に行政処分がなされて初めて現実の効果を生ずる場合と、法令によつて直接に権利を侵害する効果を生じ、これに基いて更に行政処分が行われることを要しない場合とがある。前者の場合は法令によつてはいまだ現実に権利侵害はないから、直接に法令に対して行政訴訟を提起し得ず、右法令に基き行政処分が行われて初めて訴訟を提起し得べき理であるに反し、後者の場合は特別の行政処分の行われるのを待たず、法令により直接に権利の侵害が生ずるのであるから、法令に対し直接に行政訴訟を提起し得べきである。若し然らずとすれば、後者の場合は、行政処分は全然行われないのであるから、法令が違法であり、権利の侵害があつても行政訴訟を提起する途がない結果となるのであり、これは基本的人権の尊重を強調する憲法の下において認めることのできない結論である。
前記各臨時特例条例の制定施行の結果その各第七条の規定により、当然に任命権者としては昇給発令を禁止されることになるから、昇給該当者の「一定の期間が経過すれば」昇給請求権を取得するという期待権の条件成就を妨げるにことになり、若しくは期間経過後においては昇給請求権そのものの行使を妨げることになる。右結果の発生については何ら任命権者の特別の行為を要しない。これは正にいわゆる「命令により直接に権利義務を実現するの効果を生じ、これに基いて更に行政行為の行われることを要しない」場合に該当し行政訴訟の対象となり得るものといわなければならない。
二、被告ら主張三の原告らの昇給に関する地位について、
1 地方公務員法において保障する昇給を含む勤務条件等人事行政に関する根本基準によつて与えられた公務員の権利ないし利益は単に法律の規定に基く給与制度又は任命権者の昇給発令処分による事実上の利益ないし反射的利益という如き消極的微弱なものではないことはすでに詳述したとおりであり、これを侵害した行政処分に対し訴を提起し得ることは多言を待たない。
2 前記給与条例第十四条及び給与等条例第十二条は、「何月以上」「良好な成績」で勤務した場合を条件として、「予算の範囲内において」「昇給させることができる」と規定しているので、恰も昇給は任命権者の自由裁量に任されているが如くではあるがしかし前述のとおり、公務員の地位の保障は、基本的人権の一である争議権を剥奪したことの代償として支えられたものである点に鑑み、昇給は任命権者の自由裁量に委ねられているのではない。
前記各条例の規定は右の観点から解釈適用せらるべきものである。すなわち、
イ 昇給に必要な一定期間を「何月以上」と定めたのは昇給制度を計画的なものとし、昇給実施日を統一する趣旨である。すなわち定期昇給実施日の間においても、任用時期等の関係から所定の期間を経過した場合、その都度昇給させる煩を避け、これを統一的に行うためこれらの期間を越えた最も近い昇給実施日に昇給させ得るようにしたものであつて、原則として六月、九月、十二月が昇給に必要な一定の期間と解すべきであり、「以上」の字句によつて無期限に昇給期間を延長することは許されない。
ロ 「良好な成績」とは、特に良好な成績の職員に対し特別昇給制度が認められている趣旨や、昇給制度が給与体系の重大な一翼をなし、生活給的な面がある点から考えて、満足すべき成績という趣旨であり、普通程度の勤務状態であればよい。国立学校の教育職員についても、略同様な取扱がなされており、従来岩手県においても同様の取扱がなされていた。良好な成績の基準については自ら社会的主観的な基準があるべきであり、任命権者の恣意的主観的認定によつて左右することができないことはいうまでもない。
ハ 「予算の範囲内で行わなければならない」とは、条例に定める基準に基き組まれた予算の範囲内で行うべく、この予算を顧みず特別昇給その他の条件に該当しない昇給等を無計画に実施することを防ぐための規定であつて、現行の給与制度を適正に運用できない予算を組んでもよいというように解釈すべきではない。
右の規定は、昇給と予算との関係を定めたものであつて、昇給と財政との関係を定めたものではない。財政上の事情は、少くとも職員の給与の決定に当つては比較的軽微な地位を占めるにすぎないことは、地方公務員法第二十四条第三項の規定の仕方、すなわち、「生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与」に次ぐ「その他の事情」に取り入れられていることによつても明らかである。
三、被告ら主張四の出訴期間徒過の点について、
原告らの本件訴のうち前記各臨時特例条例の公布処分中第七条に関する部分及び右各第七条そのものの取消を求める訴は、いずれも法定期間内に提起されたものであり適法である。すなわち右訴の出訴期間の起算日は、右各条例の岩手県報に登載された昭和二十九年三月三十一日となすべきものではなく、原告が右各特例条例の実施により現実に昇給停止の処分を受けた日である。しかしてそれは、原告らがそれぞれ所轄教育委員会に対し昇給請求をなしたのに対し同委員会から回答を受領した日、すなわち別表第二中昇給請求の回答欄記載の各日時である。これによれば原告らの本訴提起は行政事件訴訟特例法第五条第一項所定の法定期間内になされたものであり適法である。
仮りにそうでないとしても、原告らは被告岩手県人事委員会から前記不利益処分に関する審査請求却下の通知を受領して初めて前記各臨時特例条例の施行により昇給停止の措置がなされたことを知るに至つたのであるから、本件訴の出訴期間の起算日は、右却下決定書の原告らに送達された前記昭和二十九年十二月十一日であり、従つて本件訴は適法である。
四、被告ら主張五の教育委員会の昇給措置の拒否処分について、原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎がそれぞれ別表第三記載の各所轄教育委員会に対してなした昇給の措置をとられたい旨の請求に対し、右各教育委員会のなした措置は、昇給の措置をとることができない旨の単なる事実の通知ではなくして、右請求を拒否した処分に外ならない。しかしてその結果右原告らは既述のとおり昇給する権利ないし利益を侵害されたのであるからこれに対し行政訴訟を提起し得る。
以上被告らの本案前の答弁はいずれも失当である。
<立証省略>
被告ら訴訟代理人は、被告ら三名の本案前の答弁として次のとおり述べた。
一、本件各臨時特例条例は、行政処分でないからその各第七条の無効確認又は取消を求める本件訴は不適法である。
1 行政訴訟の対象となる行政処分とは行政庁が法に基いて支配的又は優越的意思の発動として国民に対して行う単独行為にして、その結果具体的な権利義務又は法律関係に法律上の効果を及ぼすものをいう。しかるに昭和二十八年岩手県条例第四十九号「市町村立学校職員の給与等に関する条例」及び同年岩手県条例第四十八号「一般職の職員の給与に関する条例」並びに本件各臨時特例条例は、地方公務員法、教育公務員特例法市町村立学校職員給与負担法に基いて給与制度を定めた条例であり行政処分ではない。
2 昇給に関する諸規定は、任命権者の権限である昇給発令の基準を定めたもので、直接個々の職員の給与の額を定めたものではない。職員各自の具体的な給与の額が決定され、給与に関する請求権が発生するのは、任命権者の昇給発令処分を待つて初めて然るのである。さればこの点からしても前記給与条例給与等条例及びその一環としての前記各臨時特例条例は抽象的、一般的規範であつて行政処分そのものではない。このことは仮令右臨時特例条例の適用の対象者が、給与条例施行前から引き続き勤務している職員のみに限定されているとしても同様であつて、行政訴訟の対象となる行政処分ではない。
二、本件各臨時特例条例の公布行為は行政処分ではないからその各第七条に関する部分の無効確認又は取消を求める本件訴は不適法である。
条例の公布は行政処分ではない。条例の制定又は改廃は地方公共団体の議会の議決によつて成立する。成立した条例は一般に周知させる目的で公示されるのであるが公布はそれ自体独立の行政処分として国民の権利義務に直接影響を及ぼすものではない。仮りに条例によつて直接法律関係が形成され又は変更されることがあり得るとしても、それは条例そのものの効力であつて、公布行為の効果ではない。
三、原告らの請求趣旨(一)(二)(三)の各訴は訴の利益がないから不適法である。
1 給与条例中昇給に関する規定は、任命権者の昇給発令の一応の規準を定めたにとどまり、職員に昇給請求権ないし昇給を請求する法律上の地位を設定したものではない。職員が一定の条件の下に一定の時期が到来すれば、昇給するであろうことを期待することができるとしても、任命権者の運用方針の変更によつて昇給できないこともあり得るのであり、また昇給の条件である勤務成績が良好なりや否やの判定も任命権者の権限であるから、その判定基準が変更することもあり得るのであつて、一定期間を経過したからといつて当然に昇給できるとは限らない。
いわゆる定期昇給の場合でも一定期間の到来によつて当然に任命権者に昇給発令義務を生ずるのではない。予算の範囲内で成績良好という任命権者の判断を条件とすることは規定の上からも、また実際上の取扱からいつて明瞭である。もともと定期昇給という語は通俗的な呼称にすぎず、正しくは普通昇給と呼称せらるべき性質のものである。
2 なお職員の勤務成績の評定は、全面的に所属長に委ねられているので、昇給については、定期昇給の場合も含めて、所属長の内申を要することは勿論であり、その内容は職員の勤惰、服務の実績等を考慮することになつている。しかして従来昇給は一定の期間の経過によつて当然に発令された事例なく、例えば知事部局における昭和二十九年度、三十年度における定期昇給該当人員に対する昇給人員の比率は九四ないし九七%になつている。
3 給与等条例及び給与条例における昇給発令条件としての期間「六月以上」「九月以上」「十二月以上」とは、これらの期間未満では昇給できないというだけで、この期間を経過した場合当然に昇給させるという趣旨ではない。「良好な成績」とは勤務成績の評定が良好とされたもので任命権者の判断が加わる。「予算の範囲内」とは昇給に要する経費に充当し得る予算の範囲内という意味である。昇給発令は任命権者の権限であり、条例はその基準を定めたものである。
すなわち給与法上法律関係と称し得るのは、任命権者の初任給又は昇給の発令によつて給与の額が決定された場合において、一定の労働をすればその給与が受けられるという場合及び現実に労働した場合それに相当する給与請求権が生ずる場合に限る。任命権者が昇給させることができるのは、一定期間勤務しかつ成績が良好であるばかりでなく、所要の予算の範囲内という三個の要素が具備したときであり、しかして以上の要素は、任命権者又は費用負担者の裁量又は予算措置にかかつているのであるから、それらの行為を待たずに或る時点において当然具体的権利として発現するものではない。
4 これを要するに、原告らの主張する昇給請求権なるものは、裁判所に対して主張し得る権利ないし利益ではなく、単に任命権者に対して昇給を希望し、意見を具申し得る事実上の利益又は反射的利益若しくは勤務条件の措置要求等をなし得る行政審判手続上における保護法益にすぎない。だとすれば原告らが期待した時期に昇給を受けなかつたからといつて権利又は法律上の利益の侵害があつたものとはなし得ない。されば原告らは前記各臨時特例条例によつて何ら権利又は法律上の利益を侵害されたことにならないから権利保護の利益を欠くものといわなければならない。
仮りに右各臨時条例が行政処分であり、その無効が確認され又は取り消されたとしても、このことによつて原告らは直接利益を受けないのであり、任命権者の具体的個別的昇給発令処分を待たなくては何ら昇給の利益を享受することができないのである。本件訴は、この点からいつても訴の利益を欠き不適法たるを免れない。
四、仮りに前記各臨時特例条例及びその公布処分が行政処分であるとしても、これが右各条例第七条及びその公布処分の取消を求める原告らの(一)(二)の本件予備的訴は出訴期間を徒過し不適法である。けだし右本件訴は、右各条例の公布された昭和二十九年三月三十一日から六ケ月以内に提起すべきにかかわらず、昭和三十年三月二十四日に至りこれを提起したのであるから、すでにこの点において不適法として却下を免れない。
五、請求の趣旨(三)の(1)における原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎の被告岩手県人事委員会に対する本件訴も不適法である。けだし別表第三記載のそれぞれの任命権者たる各教育委員会が、原告佐々木らの昇給の措置をとられたい旨の請求に対し、なした行為は行政処分ではない。右各教育委員会が前記各臨時特例条例の規定に基きそれぞれ右原告らの昇給の請求に応ずることができない旨の事実の通知をなしたにとどまり、何ら法律効果を伴う意思表示をしたものではないのである。
また原告らのいう昇給請求権なるものは権利又は法律上の利益ではないこと前述のとおりである。いまだ具体的に生じない権利は前記の如き昇給拒否の行為によつて侵害されるいわれがない。原告佐々木らの昇給拒否取消処分の取消を求める本件訴も却下を免れない。また被告ら三名の本案の答弁として、
「原告らの各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」
との判決を求め、
答弁として次のとおり述べた。
一、原告ら主張一、二の各事実を認める。
二、同三以下の事実は否認する。
被告岩手県知事の主張、
一、原告ら主張の各臨時特例条例案提案の理由、
1 制度的理由、
公立学校の教育公務員の給与体系は、いわゆる三本建制度といわれるが、本県の給与制度は国立学校の教育公務員の給与の種類及びその額を基準として昭和二十八年十二月の第十九回岩手県議会において現行の一般的制度として確立され、昭和二十九年一月より施行された。ところで三本建制度が確立されるまでの本県の制度は、それまで官史であつた公立学校の教職員は、昭和二十四年一月十三日公布教育公務員特例法に基き地方公務員となり、かつその給与については国立学校の教育公務員の例によるとされた。その後昭和二十五年十二月十三日公布地方公務員法の施行及び教育公務員特例法の一部改正に伴い、昭和二十七年五月十五日公布の公立学校職員の給与に関する条例の施行を見たが、なお従前どおり国立学校の教育公務員の例によることとされた。従つて昭和二十八年十二月三十一日以前における初任給基準も国の例によることとされていたが、現実には国の例よりも一律に二号高の初任給で任用される扱いであつて、この一律二号高初任給制度がいわゆる三本建制度確立直前までの給与制度であつた。
そこで問題は、従前の二号高初任給制度下に採用された者と、三本建制度以後の採用された者との間の均衡を如何に措置するかが可及的速かに解決されるべき懸案事項として論議されたが、この初任給二号差の新旧両制度の不均衡の是正を目的としたのが右各臨時特例条例である。
2 財政的理由、
イ 特例条例を提案せざるを得なかつた第二の理由は財政の逼迫である。すなわち昭和二十七年度決算によれば実質赤字五億四千万円に達し、昭和二十八年度末は六億になんなんとしていた状態であつて、財政の再建は焦眉の急を告げ、昭和二十九年度予算編成に当つては、一時職員の人件費一割天引削減、旅費特例条例の制定による大幅減額等を始め、消極的経費の極度の圧縮は勿論、更に事業費も徹底的に縮小せざるを得ない状況となり、前年度まで継続した奨励的補助事業も国庫補助を伴うものにおいて六項目、国庫補助を併わないものにおいて三十一項目を廃止せざるを得なかつた。
ロ 一方自治庁では、克明な財政実態調査を行い、その結果被告知事に対し消極的経費、特に教員の給与が他府県に比し高いから検討するようにとの勧告があり、また昭和二十七年十一月一日現在における文部省初等教育局の教職員給与実態調査報告書によれば、本県教職員の給与は、同一学歴、同一勤続年数の者の比較において、東北六県の給与の平均を全面的に上廻つている実情にあつた。
ハ 義務教育費半額国庫負担法による負担金及び平衡交付金中教育費に差し向け得られるもの並びに授業料収入を差引いても、教育費総額は毎年四億円の不足を来しているのであつて、右は結局十億足らずの税収のうちから賄われれるのであつて、全国的に最も低位にある岩手県の税収中かくの如き大きな部分を教育費に割かれることは、県政全般にとつて重大にして深刻な重圧であつた。しかしてこれを数年間の傾向に徴するに、県財政中に占める教育費の比率は年々累増の一途を辿り、従つて他の県政全般に重大な影響を及ぼすと同時に、教育費総額中に占める人件費もまた次第に増大し、教育費の弾力性を失わせて来たのである。
ニ これを要するに貧困な岩手県の財政をもつてしては国の基準を上廻る教職員給与体系は到底存続を許さない段階にあつた。もとより被告らといえども教育の重要性は十分認識しているけれども産業の振興を図り、或は生活困窮者の生活維持を図る時県民一般の福祉の確保に責任を持つ者として、教育行政の在り方についても県政全般との対比において判断し処置しなければならないことはいうまでもない。
ホ 原告らは岩手県における教職員の給与水準は低かつたと主張するけれども、給与の高低を論じ水準を比較するに際しては、平均給与を比較することは全く無意味である。給与は学歴、職種、経験年数の同一な者について比較するのでなければならない。しかるに原告らはこの点の考慮を欠いた比較をしているのであり、方法論的に誤つている。すなわち仮りに同一学歴、職種、経験年数においては全く同一である二の県を比較するとき、経験年数の低い職員が多い県は、経験年数の高い職員の多い県に比較し、給与の平均が低くなるのは当然であるからである。従つて原告らの主張する平均給与額が低位にあるからといつて給与水準が低いという結論にはならない。
二、前記各臨時特例条例提案の経緯について、
1 国の基準を上廻る岩手県の教職員の給与について何らかの解決を図らなければならないとして具体的問題として提起されたのは、昭和二十八年十二月の第十九回岩手県議会において教職員三本建給与と関連して初任給二号引下の条例が提案されたときである。すなわち右条例により初任給について昭和二十九年一月一日以降新たに採用される者について二号引下げ、国の基準どおりとすることとしたため、同日以前に採用された者との均衡を失することとなるのでその対策をどうするかが第十九回県議会における論議の焦点となつたのであり、爾来本問題は教育委員会を含む関係者の間においては衆知の事実であつた。
2 しかして昭和二十九年一月一日以前に採用された在職者の給与を改訂する方法としては、必ずしもそのための特別の条例の制定によらず行政措置によることも不可能ではないと考えられたので、被告知事は屡々県教育委員会と折衡を重ねた結果、教育委員会においても自主的に解決策を講ずるものと諒解したため、第二十回県議会の開会当初においてはこれに関する条例の提案を避けたのであつた。しかるに県教育委員会は、被告知事の正式態度決定の強い要望に対し、単に財政協力の意思があるというのみで何ら具体的意見を述べなかつた。それ故被告知事としては、特例条例制定によるの外はないと考え、教育委員会に対し原案の送付方を要望し、更に条例案を示してその意見を求めたが遂に何らの回答にも接しなかつた。そこで被告知事は、教育委員会から特例条例の原案送付を受けることはとうてい不可能であり、いたずらに時日を遷延するにすぎないと判断し、やむを得ず原案の送付のないまま提案するに至つたのである。
三、以上述べた経緯で県教育委員会からの原案送付のないまま被告知事が前記各臨時特例条例の議案を提案したとしても何ら違法ではない。
1 すなわち旧教育委員会法第六十三条の三の規定は、教育行政の慎重を期するため、教育関係の議案を議会に提案する場合の行政上の方針を定めたもので、関係人の権利や利益の擁護のために公告、縦覧、公聴会の手続を定めた規定とはその趣旨を異にする。従つて右規定に反し教育委員会の原案の送付を待たずに提案したとしても、議決の法律上の効力に影響がない。
同条に「常例とする」とあるは、原告ら主張のように天災地変その他不可抗力による場合又は教育委員会の著しい権限の濫用の場合に限つて異例として取扱い、その他の場合はすべて原案の送付がなければ、知事に提案権がないと解すべき理由はない。
2 そもそも地方行政制度においては、教育委員会等の委員会を執行機関として或程度の独立性を与え、教育行政等の公正な運営執行を確保する建前をとつているのであるが、それは飽くまで知事の所轄の下に当該地方公共団体のため教育その他の事務を執行させるに止り、地方公共団体の行政の一体性ないし統一性を無視した独立性を認めたのではないことは地方自治法第百三十八条の三第二項の規定に徴し明らかである。旧教育委員会法第六十一条以下の規定も右趣旨において解釈運用されるべきもので、「常例とする」とは、それぞれの場合について具体的に判断すべきものであるが、教育委員会設置の趣旨に鑑みれば、同法第六十三条の三の規定は教育行政を慎重ならしめるために、地方公共団体の長は、教育委員会の原案送付権を尊重すべきことを定めた、いわば訓示規定であつて、この規定に反した場合における責任は、法律上の責任ではなく、行政上又は政治上の責任として取扱わるべきものであり、従つて違法性の問題を生ずる余地はない。
3 右各臨時特例条例の制定に際しては前述のとおり被告知事は予め県教育委員会に対し、特例条例制定の趣旨目的を説明して原案の送付を求め、次いで議案を示して意見を徴する等、教育委員会の原案送付権を充分に尊重したのである。しかも教育委員会としては第十九回県議会の論議に照らし、この問題について予め所要の検討を加え、地方教育委員会の意見を聞く等必要な手続をとり得る充分な時間的余裕があつたのにこれをなさず、終に原案の送付をしなかつたのである。このような情況の下において、被告知事が県教育委員会の原案送付を待たずして右各臨時特例条例案を提案したのはまことにやむを得なかつたのであり、何ら違法ではない。
四、岩手県議会が臨時特例条例第十九号案について被告岩手県人事委員会の意見を求めたが、同条例第二十号についてはこれをしなかつたこと、及び被告人事委員会の意見が右特例案十九号について適当なものとは認め難い旨の回答のあつたことは認める。しかし被告人事委員会は市町村立学校職員の給与等に関し意見を述べる何らの権限がないからこれを聞かなかつたのは当然である。なお被告人事委員会の意見に反して議決された条例をもつて違法とはなし得ない。けだし地方公務員第五条第二項は、職員に適用される基準等につき地方公共団体が意思を決定しようとする際は、人事委員会の意見を参考にすべき旨を定めたにとどまり、これに拘束されるものでないからである。
被告岩手県人事委員会の主張、
原告ら主張各臨時特例条例第七条が違法でないことは被告岩手県知事の主張と同一である。
しかして被告人事委員会が原告佐々木貞夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎らの不利益処分に関する審査請求を却下した処分は適法であり何ら違法ではない。右各臨時特例条例が当然無効でない限り別表第三記載の各教育委員会が、右各条例の規定に基き、原告らの昇給請求を拒否したのは当然である。しかも右各教育委員会のなした行為は昇給請求に対する拒否処分ではなく、単に「まだ条例に定める最低の昇給基準に該当する要件を具備していないから昇給措置をとらない」旨の通知をなしたにすぎないのであり、そもそも不利益処分なるものは存在しないのである。それ故被告人事委員会がこれを理由に右原告らの審査請求を却下したのはまことに当然であり何ら違法ではない。
被告岩手県の主張、
原告ら主張の各臨時特例条例第七条が適法であり、何ら原告らの主張する違法の点の存しないことは被告岩手県知事の主張と同一である。
しかも原告らの主張する利益は給与制度の反射的利益にすぎない。従つて右各臨時特例条例の制定実施により何ら権利を侵害されておらず、損害の発生するいわれはない。
よつて原告らのそれぞれ被告らに対する第一次の請求及び予備的請求はいずれも失当であり棄却さるべきであると述べた。
<立証省略>
理 由
第一、被告らの、原告ら主張(一)(二)の各(1)の第一次の請求に関する本案前の答弁に対する判断。
一、本件各臨時特例条例第七条は行政訴訟の対象となり得る行政処分であるか。
1 地方公共団体はその事務に関し固有の法を定立する権能を有する。これはいわゆる自治立法であり、広義の行政立法ではあるが、国の行政権による立法と異り、地方公共団体という一種の部分社会の法としての性格を有し、地方公共団体の地位及び権能によつて限界づけられる。地方公共団体の条例及び規則がこれである。ところで条例は地方公共団体の議会が議決し長がこれを公布するのであつて、一般に条例は原則として行政訴訟の対象となり得る行政処分とはなし得ない。
何故なれば、条例は直接には当該地方公共団体の住民に対し権利を制限し又は義務を課するという効果を生せず、通常右条例に基いて更に行政処分が行われて初めて現実の効果が生ずるからである。この場合には、条例によつてはいまだ当然に法律上の効果を生じていないから、直接条例に対して行政訴訟を提起し得ないのは当然であり、右条例に基いて行政処分が行われて初めて訴権が生ずるのである。
もとより裁判所は具体的な事件についてその事件の審理の前提としてのみ法令の効力ないし解釈をなすのであつて、抽象的に法令自体の効力ないし解釈を問題とすることを得ない。これらの法令の効力又はその解釈は、その法令が直接に、又はその法令に基く行政処分によつて間接に違法に人民の権利利益を侵害した場合に、それに対する訴訟において初めて裁判上の問題とされ得るのであつて、具体的な事件における法の適用を離れて、直接に法令自体の効力又は解釈を争う訴は許されない。それは当事者間の具体的な権利義務に関する訴訟、すなわち「法律上の争訟」に該当しないからである。
2 しかし条例の制定のような立法行為であつても、それが具体的な処分的意味を持つ場合がある。すなわち条例そのものの施行によつて当然に直接特定の者の具体的権利義務に法律上の効果を生じ、これに基いて更に行政処分の行われることを要しないような特別の場合においては、何ら通常の行政処分と異なるところがないから、条例に対し直接に行政訴訟を提起し得るものと解すべきである。若しそうでないとすればこの場合には条例が違法であり、権利の侵害があるにもかかわらず、全く行政訴訟を提起する途が存しないこととなり、その不当であることはいうまでもない。
3 本件において、成立に争いのない甲第二号証の一、二によれば、本件各臨時特例条例はその各第八条において「給与等条例(第二十号の場合。第十九号の場合は給与条例)施行後において新たに教育職員となつた者についてはこの条例は適用しない。」と定め、その適用対象者を給与等条例及び給与条例施行以前の原告らを含む教職員のみに限定していることは明らかであり、また、本件各特例条例第七条は「給与等条例第二条第二項に規定する教育職員については、それぞれの教育職員について左の各号の一に該当する場合には同号に規定する期間を経過した場合でなければ、昇給させることができない。但し給与等条例第十二条第三項に該当するものを除く。一、この条例施行後初めて昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間に六月を加えた期間。二、前号の規定の適用を受けた次に昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間。三、前号の規定の適用を受けた次に昇給させる場合には給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間に六月を加えた期間。前項各号に規定する期間内に昇格させた場合においては、昇格したことによりそれぞれ同号に規定する期間を経過して昇給したものとする。」(第二十号の場合、第十九号の場合も大体同旨)と規定し、これによれば、原告ら特定の者は右各条例の施行により当然に六ケ月づつ二回に亘り昇給を延伸されるという直接具体的な効果を生じ、更に任命権者の各所轄教育委員会の昇給停止という特別の処分を要しないものといわなければならない。だとすれば本件各臨時特例条例第七条は条例の形式をとつていても、実質は行政処分と異るところがないのであり、その施行により権利若しくは法律上の利益を侵害されたと主張する場合これに対し行政訴訟を提起し得べきものといわなければならない。
この点の被告らの主張は失当である。
二、本件各臨時特例条例の公布行為は行政訴訟の対象となり得る行政処分であるか。
1 地方自治法第十六条は、地方公共団体の長が、議会において議決した条例を公布する手続について規定している。一体条例を含めた法令の公布行為の性質について考えてみるのに、法令の公布は意思表示的行政行為ではなく、一定の精神作用の発現について専ら法規の定めるところによりその効果を生ずる準法律行為的行政行為であり、議会の議決によりその内容の確定した法を外部に表示する行為である。すなわちその効力未発動の状態にある法を、権威的に周知せしめてその効力を発動せしめるための行為である。従つて一般法令の公布は、議会等立法機関の内容を確定した法の成立要件であると同時にその効力発生要件ではあるが、内容の確定行為に対する附加的補充的のものにすぎないから、通常これのみを行政訴訟の対象とする実益がないものといわなければならない。
2 ところが条例の公布は一般法令の公布と大いに異なるものがある。地方自治法第百七十六条は「議会における条例の制定について異議があるときは、長はこの法律に特定の定があるものを除く外その送付を受けた日から十日以内に理由を示してこれを再議に付することができる。(一項)前項の規定による議会議決が再議に付された議決と同じ議決であるときはその議決は確定する。(二項)議会の議決……が権限を超え又は法令若しくは会議規則に違反すると認めるときは、長は理由を示してこれを再議に付させなければならない。(四項)前項の規定による議会の議決がなお権限を超え又は法令若しくは会議規則に違反すると認めるときは、長は議会を被告として裁判所に出訴することができる。(五項)」と規定し、条例は議会の議決によつて一応内容が確定するが、これに対し長が再議を求める方法いわゆる長の拒否権の制度が認められているのである。議会と長の両者の抑制均衡により条例による住民の権利利益の侵害を防止しようとする建前の下に規定されているのである。
従つて一般法令の公布の場合における公布機関は一の表示機関にすぎないのであり何ら法令の内容に関与するものではないのであるが条例の公布の場合の長は、これと異りその外に条例の内容に関し議会と共に評価判断をなし、住民の権益を保障する使命を付託されているのであり、長が議会の議決した条例に異議を述べず再議に付させないで公布したときは、右公布行為自体一見一般法令の公布行為と何ら異なることのない外形をしているのではあるが、右行為には一般法令の公布行為の性質を有すると同時に、条例に関する議会の評価判断を不当ならずとし、或は違法ならずとする長の評価判断をも包含するものといわなければならない。一般法令の公布の場合と同日に断ずることはできないのであり、それ自体独立して行政訴訟の対象となり得る性質を有するものといわなければならない。
この点の被告らの主張もまた失当である。
三、原告ら主張の昇給請求権は給与制度の反射的利益にすぎず、権利ないし法律上の利益ではなく、従つて原告らにおいて本件各臨時特例条例の制定施行により侵害されるものがないから、本件訴を提起する利益がないかどうか。
1 行政訴訟は訴権を有する者のみがこれを提起し得る。行政訴訟において訴権を有する者は、行政処分により自己の権利を毀損された者であるが、この権利の範囲については、行政訴訟の目的からいつて必ずしもこれを厳格に解すべきではなく、単なる感情的、道義的利益又は法規の反射的利益にすぎない場合を除き、公権たると私権たるを問わず広く自由権をも含み、またそれが権利とまではいい得なくとも、法律上保護さるべき利益ならば、これを害されたことを理由として行政訴訟を提起し得るものと解すべきである。
2 しからば本件において、原告らはその主張するように侵害されたとする権利又は法律上の保護に値する利益を有しているであろうか。
イ 地方公務員法は地方公共団体に近代的公務員制度を確立することを目的としたものであり、その意味では国家公務員法と根本的狙を等しくするものである。もつとも地方公務員制度においては、地方自治の本旨の実現に資することを窮極の目的とされる以上、地方公共団体の自主性を確保し、その多様性に適合せしめるという要請から、自ら国家公務員制度と異なるものがあるとはいえ、近代的公務員制度の諸原則、例えば公務の平等公開、成績本位の原則、職員の政治的中立性、職員の身分保障、職階制、利益の保護に関する基準、専門的中立的人事行政機関の設置等の原則は地方公務員法にも取り入れられている。
ロ ところで公務員が労働法上労働者に該当するか、従つて労働者に対し憲法上認められている地位が公務員にも与えられるか、特に争議権の存否を繞つて論議の分れるところである。勤労者とは労務を提供した対価として生活手段たる賃金を得る者であつて、公務員といえどもこの意味では勤労者といわなければならないのであり、従つて憲法第二十八条にいう「勤労者」には本来公務員を含まないものであるとは解することができない。しかしながら公務員の労働関係は、一般私企業における労働者のように労使対抗の関係ではなくして、公務員の労働関係の相手方すなわち実質的使用者は国民であり、その関係は国民全体に対する奉仕の関係である。そこに一般労働者が憲法により与えられた諸権利は、公務員の労働関係の特殊性から自ら制約を受けるのは当然である。公務員が、その労働の対価としての給与及び経済的利益の向上について、一般労働者がなし得ると同じように団体交渉権及び争議権を手段として形式上の使用者たる政府又は地方公共団体に対し要求することができないのもこのためである。
ハ このように本来勤労者であり、たとえ憲法上保障せらるべき争議権等の行使を禁止されているとはいえ公務員に対しては、形式上の使用者たる国又は地方公共団体は、その当然の義務として公務員の生存権の保障を考慮すべきであり、その福祉及び利益の保護については適切な措置を講ずべきであつて、ここに身分保障特に給与の根本基準の確立及び国においては人事院の、地方公共団体にあつては人事委員会又は公平委員会の給与勧告の制度が設けられているのである。
ニ しかして地方公務員法は国家公務員法に対応して給与その他の勤務条件の根本基準、給与に関する条例の規定事項及び給料額の決定、給料表に関する人事委員会の報告及び勧告について詳細に規定しているが、同法第二十五条は昇給の基準に関する事項は、給与に関する条例中に必ず規定すべきことを定めている。しかして右条例は、国家公務員法第六十五条に定める給与準則に対応するものであるから、右条例で昇給に関する基準を規定するに当つては、国家公務員法における昇給基準と同様勤続期間、勤務能率その他勤務に関する諸要件を考慮して定められるべきであることはいうまでもない。
このように地方公務員法は国家公務員法と同様、給与制度の重要不可欠な一要素としての昇給に関し詳細な規定を設けた所以のものは、もとより任命権者の権限に属する昇給措置の基準を定め、公平と統一性を保障するにあること勿論であるが、一方職員の側からみれば、設定基準に該当する諸要件を具備するに至れば昇給措置を受け得るとの期待を抱くのは当然であり、事実職員の生活規模の拡大膨張に伴い、かかる昇給による給与の増大なくしては生計の維持従つて職務の遂行は不可能である点に鑑み、職員の昇給に関する利益は現行給与制度によつて保障されている利益であり、法律上の保護に値する利益であると解するのが相当である。殊に前段において説明したように、公務員の争議権行使の禁止、団体交渉権行使の制限により、公務員が給与その他の経済条件の向上を図り得る唯一の途を、法的に拘束力のない人事委員会又は公平委員会の勧告にしかこれを求め得ないとすれば、昇給措置を受け得る利益は昇給請求権自体又は期待権とまではいい得ないにしても相当程度高く評価されなければならないのであつて、これを単なる給与制度に伴う反射的利益又は事実上の利益とは解せられない。もとより昇給せしめるかどうかは結局任命権者の判断に俟つべきであるが、任命権者は所要の資料に基いて判断した結果基準該当者であると認定した場合は昇給せしめる義務を有するのであり、何ら特段の事由がないのに給与制度に反して恣意的に昇給措置をとることを差し控えることは許されないのであり、かかる任命権者の不作為自体によつて昇給に関する利益が侵害されたとすれば、右侵害に対してはこれを行政訴訟の対象として司法裁判所に出訴しこれが救済を求めることができるものといわなければならない。
3 本件において前記給与等条例第十二条例給与条例第十四条はいずれも「職員が現に受けている昇給を受けるに至つたときから左に掲げる期間を良好な成績で勤務したときは、その者の属する職場の級における給料の幅の中において、直近上位の号給に昇給させることができる。一、現に受ける給料月額と直近上位の給料月額との差額が七百円未満である者にあつては六月以上、二、差額が七百円以上千五百円未満である者にあつては九月以上。三、差額が千五百円以上である者にあつては十二月以上。」と定め前者にあつてはその第四項において「前三項に規定する昇給は、その昇給が予算の範囲内において行われるために県教育委員会が指示する基準によらなければならない」と定め、後者にあつては、その第四項において、「前三項に規定する昇給は予算の範囲内で行わなければならない」と規定していることは甲第一号証の一、二によつて明かである。原告らは、本訴において、右各条例の定めるところにより昇給措置を受けることを期待し得る地位にあつたところ、その昇給に関して有する利益は法律上保護するに値する利益であり、これを本件各臨時特例条例の制定施行により侵害されたと主張するのであるから、原告らは本件訴を提起する利益があるものといわなければならない。
この点の被告らの主張もまた失当である。
第二、よつて原告らの主張(一)(二)の各(1)の第一次の請求に関する本案の判断。
原告らはそれぞれ別表第一記載の岩手県内小、中高等学校に勤務する教育公務員であり、原告佐藤田二郎は給与条例の、その余の原告ら十一名は給与等条例の適用を受けるものであり、それぞれ別表第一記載の日時にその記載の級号の給料を受けていたこと、原告ら主張の日時被告岩手県知事が岩手県議会の制定にかかる原告ら主張の各臨時特例条例を公布し、右各条例第七条の内容が原告ら主張のとおりであること、右議会が右各条例を制定するに際し、被告知事の独自の提案によつたのであり、岩手県教育委員会の原案の送付がなかつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
よつて本件各臨時特例条例第七条に原告ら主張のような違法の点が存在するかどうかにつき判断する。
一、まず旧教育委員会法第六十一条以下の規定等に違反していないか。
1 成立に争いのない甲第三号証の一、二、乙第一、三、四、五、十号証、証人鈴木力、小川仁一、石橋寿男、砂子由次郎、山中吾郎(第一、二回)、斎藤茂、西宮弘、赤堀正雄の各証言を綜合すれば次のような事実を認めることができる。
そもそも被告岩手県知事が本件各臨時特例条例案を昭和二十九年三月二十四日第二十一回岩手県議会に提案するに至つた事情は次のとおりである。
イ 当時の教職員の給与実情。
〔1〕 公立学校の教育公務員の給与体系は、大学、高等学校、小、中学校の三段階に分けたいわゆる三本建制度といわれるものであるが、岩手県における教育公務員の給与制度は、国立学校の教育公務員の給与の種類及びその額を基準として昭和二十八年十二月二十五日第十九回岩手県議会において現行の一般的制度として確立され、昭和二十九年一月一日から施行されたのであり、これが給与等条例及び給与条例である。
〔2〕 ところでいわゆる三本建制度が確立されるまでの岩手県における教職員の給与制度は、それまで官史であつた公立学校の教職員が昭和二十四年一月十二日公布の教育公務員特例法により地方公務員となり、その給与については「国立学校の教育公務員の例による」こととされた。その後昭和二十五年十二月十三日公布の地方公務員法の施行及び教育公務員特例法の一部改正に伴い、昭和二十七年五月十五日公布の公立学校職員の給与に関する条例の施行となつたが、結局なお従前の例によること、すなわち国立学校の教育公務員の例によることとされていた。従つて前記給与等条例及び給与条例施行前における初任給基準も国の例によることとされていたのであるが、岩手県においては、その特殊事情殊に僻地勤務者を優遇するためと無資格教員の多いところから資質の優秀な有資格教員を採用する意味合において国の例よりも一律二号高の初任給で任用される取扱であり、この一律二号高初任給制度がいわゆる三本建制度確立直前における実態であつた。
〔3〕 それで前記三本建給与制度、すなわち給与等条例及び給与条例により昭和二十九年一月一日以降新たに採用された者の初任給を二号引下げて国の基準どおりとすることとしたため、同日以前に採用された者との均衡を失することとなるため、これが対策を如何にすべきかは県財政の節減の問題と絡んで昭和二十八年十二月第十九回岩手県議会における論議の焦点となつた。
〔4〕 もつとも実際は全教職員について一律二号高であつたわけではなく、県下約一万三千人の教職員中ある者は事実国の基準より二号高ではあつたが、その余の者はむしろ国の基準以下か若しくは同等であり、その間の凹凸が烈しく極めて複雑な構成であつた。それは数回に及ぶベース・アツプと採用基準の度々にわたる改訂に原因するのであつて、かかる不安定な給与の現状を早急に改め、給与体系を整備確立することがかねて被告岩手県を初め関係当事者の懸案であつたところ、三本建給与制度を実施するに当り具体的現実の問題として取り上げられるに至つたのである。
ロ 当時の県財政事情。
〔1〕 しかも被告岩手県は昭和二十七年度以降毎年繰上充用を行い赤字の累積に苦慮しており、その額は昭和二十七年度において五億四千万円、昭和二十八年度は六億円に達していた状態であつて、財政の再建こそすべてに優先して断行しなければならない緊急の課題であつた。それで昭和二十九年度予算編成においては、一般職員の人件費一割天引、旅費特例条例の制定による大幅減額を始め、事務費、備品費等消費的経費の極度の削減を図り、更に奨励的補助事業も国庫補助を伴うもの六項目、国庫補助を伴わないもの三十一項目を廃止するの余儀なきに至つた。
〔2〕 しかして被告岩手県の昭和二十八年度予算約百億円中、教育費は約四十億で、教職員の給与として計上される額は約二十一億であり、義務教育費半額国庫負担法による負担金及び教育費の特定財源として使用し得る平衡交付金並びに授業料収入等を差引いても教育費総額として約四億円の不足を来す実情にあり、しかも県財政総額中に占める教育費の比率は年々累増し、そのうち人件費は八割を占める有様であつたので、被告県としては財政節減の実を挙げるには、国の基準を上廻ると考えられる教職員の給与体系を改めることが必要であり、かつ早急に実施しなければならないと考えていたやさき、昭和二十八年十二月七日自治庁が財政実施調査の結果、被告岩手県知事に対し、被告岩手県の消費的経費の増加が著しく、特に人件費中教職員給与費については他府県に比較して相当上廻つている故検討すべき旨勧告するに及び、教職員の給与問題が烈しい論議の的となつたのである。
ハ 当時の被告県と県教育委員会との折衝事情。
このように教職員の給与制度改訂の問題は少くとも第十九回県議会以降は、県議会は勿論教育委員会等関係者の間では早急に解決しなければならない重大問題となつた。
〔1〕 県の態度、
爾来被告知事等県執行部はこれが解決方法に関し県教育委員会との間に折衝を重ねたが、結局その方法としては、教職員の承諾を得た上で俸給を二号切り下げるか、又は昇給を或期間停止すること、若しこれについて承諾を得られない場合は条例を制定しこれによつて俸給を切り下げるか又は昇給を停止するかそのいずれかによる外ないとの結論に達したが、俸給を切り下げることは既得権の侵害になる虞があるので、臨時特例条例の制定により今後の昇給を六ケ月づつ二回にわたつて延伸する方法が、給与体系を整備する意味においてもまた教職員に与える犠牲の少い点においても最も妥当な方法であり、これによつて年間数千万円の財政節減が可能であると見込み、なお右の方法を実施した場合生ずるであろう個別具体的な不合理については別途に救済措置を講ずることとし、かくてこれを被告知事の最終案として県教育委員会に示し、この線に副つた同委員会の自主的原案の作成送付を要望した。
〔2〕 県教育委員会の態度、
同委員会としては教職員の給与の実態は必ずしも被告知事等執行部が考えるように一律二号高ではなくかつ県財政の窮乏を理由に教職員の定期昇給を事実上一律に停止することは権利の剥奪であり、教育行政上重大な影響を及ぼすのみならず、かかる措置によつて節減を予想される予算というものは極く僅少なもので県財政上実質的にさしたる影響がないとの見解から、県執行部の右申入に反対の態度をとつたが、さればといつて、県教育委員会としては、これを如何に措置すべきかについて具体案を決定しなかつた。
〔3〕 県と県教育委員会との折衝。
しかして被告知事としては県教育委員会の立場を重んじ自主的解決等の打出されることを期待して昭和二十九年三月第二十一回県議会の開会当初においてはこれに関する条例の提案を控えたのであつたがその後被告知事としては、給与制度の改訂によつて財源の節減を図ることを、前述した給与制度の整備確立と合せ所期としていたので、新会計年度の始まる前に是非条例制定の運びに至らしめたいと考え、同年三月十七日県教育委員会に対し、正式に書面をもつて昇給延伸の条例の原案を送付されたい旨申し入れた。しかし県教育委員会としてはもともとこのような方法による給与制度の改訂には反対であつたし県下一万三千人の教職員の生活権にかかわる重大な問題だけに、県下の地方教育委員会の意見を徴したり、資料を慎重検討した上でなければ直ちに結論を得ることは不可能であるとの理由で更に一ケ月の猶予を求めたところ、被告知事は従来からの折衝過程に徴し県教育委員会から原案送付を受けることは到底不可能であり、徒らに日時を空費し第二十一回県議会において成立不能に終る虞があると判断し、県教育委員会からの原案送付がないまま同年三月二十四日県議会に本件各臨時特例条例案として提案し、翌二十五日議決され、同月三十一日公布された。
以上の事実を認めることができる。
また証人笹川運平の証言により真正に成立したものと認められる甲第十七号証、成立に争いない甲第十八号証の一ないし五、第十九号証の一、二、第二十、二十一号証の各一、二、三、証人笹川運平、山中吾郎(第二回)、小川仁一、石橋寿男の各証言によれば、本件各臨時特例条例制定当時岩手県における教職員の給与水準は他府県に比較して決して高くはなく、また財政事情にしても赤字で苦んでいたのは全国的傾向で独り岩手県のみではなく、一般財源に対する人件費の膨張とて同様であつたこと、本件各臨時特例条例施行の結果生じた不合理を是正するために、昭和三十年二月千六百十五人の給与の引上に要する予算として約六百万円を計上したが、実際はかかる措置を講じなければならない人員は更に多数に上ること、一方右各臨時特例条例施行によつて節減できる金額は当初県当局の見込んだものより少額であつたこと、他方右各条例の適用を受ける教職員にとつては、給与、退職手当、恩給の総計において相当多額の経済的損失を被る結果となること、以上の事実も認め難くもないのであり、当時の実情に関し更に確定を要する点もないでもないが、右いずれにしても当時そのような給与制度の実態並びに財政事情の下にあつたのであり、右認定を左右するに足る証拠がないのであるから、このような事態の下においては、被告知事としては、これが打開のため何らかの方途を講じなければならないと決意したのは当然であり、またその方法として条例制定の方法を選択したこと自体政治的又は行政的見地からする当否は別として、そのこと自体何ら違法でないことはいうまでもない。
2 そこで問題は、右各特例条例制定の当否について被告知事と県教育委員会との間に前示認定のような意見の対立等の事情があり、その結果旧教育委員会法第六十三条の三に定める原案送付の手続を経ないまま提案議決されたわけであるが、かかる所要の手続を踏まなかつたことにより右各条例は違法となるかどうかについて考えてみる。
イ 旧教育委員会法第六十一条は、教育委員会は教育事務に関するものの議案の原案を、地方公共団体の長に送付すべきものと定めており、この中には教職員の給与に関する条例の制定又は改廃も含まれることはいうまでもない。しかして同法第六十三条の三によれば、地方公共団体の長が第六十一条に規定する事項に関する議案を当該地方公共団体の議会に提出するに当つては、教育委員会の原案の送付を待つべきものとし「これを常例とする」旨定めている。これによれば、長が教育事務に関する議案を議会に提出するに当つては、常に必ずしも教育委員会からの原案の送付を待つことを要せず、場合によつては長独自の議案を提出することが認められていることが窺われる。
右法条自体の文字解釈からしても、「常例とする」とある場合は、通常の場合当該規定の定めるところにより教育委員会の原案の送付を待つべきであるが、絶対に教育委員会の原案の送付を待たなければならないという趣旨ではなく、その例によらないことも許されることを当然に予想しているものと解される。「しなければならない」という規定の仕方をとれば、法的拘束力を有し、これに違反する場合は直ちに法律上の義務違反となるが、「常例とする」場合は、時にはこれに従わなかつたとしても直ちに法律上の義務違反にならないのである。
ロ さればといつて、右教育委員会法第六十三条の三の規定は単なる訓示的規定ではない。特段の事由のない限り原則として教育委員会の原案送付を待つた上で議案を提出することを建前としているのであり、地方公共団体の長が議案の提案権を有するからといつて特段の事由もないのに、恣意的に独自の提案をなし得る趣旨に解すべきではない。
何となれば、同法第一条に明定するとおり教育委員会制度の趣旨目的、すなわち、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負い、公正な民意を反映し、地方の実情に即した教育行政を行うためには、教育委員会の或る程度の独立性を保障し、教育事務に関する条例等の制定改廃に当つてはその意見を可及的に尊重しなければならないのであり、かかる観点から旧教育委員会法第六十一条以下に教育委員会の原案送付権を規定し、更に第六十三条の三において、地方公共団体の長の議案提出に一個の制約を設け、原則として教育委員会からの原案送付を前提とすることとしたのである。
ハ しかしながら一方地方自治法上、地方公共団体の長は、地方公共団体を統轄しこれを代表する権限者として議会の議決を経るべき事件においてその議案を提出する権限を有し、条例の発案権を有することはいうまでもない。しかして教育等の事務自体は地方公共団体の長の職権に属しないのであるが、これらの事務に関する条例についての発案権もなお長に保留されているのである。旧教育委員会法第六十一条以下の規定は地方公共団体の長の発案権を絶対的に排除するものではなく、長は時に教育委員会からの原案の送付がない場合でも発案することを妨げるものではない。ただこの場合、前記の教育委員会制度の趣旨目的に照らし、可及的に原案の送付を待つべきであり、また必要と認めるときは送付の勧告をなす等の措置に出るのが妥当であるが、教育委員会の原案送付を発案の絶対的要件とするのではない。
ニ 本件において、前示認定のとおり、被告知事は県教育委員会の自主性を尊重し原案の作成送付を度々要望していたのであり、一方同委員会としては、昭和二十八年十二月第十九回県議会以来問題となつていた前示給与問題につき所要の資料を充分に調査検討し得る時間的余裕はなかつたとはいえないのであるから、教育事務に関し第一次的責任を負担する者としてむしろ積極的に解決策を打ち出すのが当然であるとも考えられるのに、終に教育委員会としての具体案を決定しなかつたという事情の下において、被告知事が独自の発案権に基き条例案を作成し、これを議会に提案するに至つたのは教育委員会制度上結局是認せらるべきところであり、何らその制定手続に原告ら主張のような旧教育委員会法条違背の瑕疵あるものということができない。
この点の原告らの主張は失当である。
3 なお旧教育委員会法第六十一条の規定等に違反しないとしても、原告らの昇給に関する利益が法律上の保護に値する利益だとすれば、本件各臨時特例条例の施行により原告らの右利益を侵害し違法となるのではないか。
イ 原告ら教職員の昇給に関する利益が法律上の保護に値する利益であること及び原告ら教職員の地位は国民全体の奉仕者としてのものであり、私企業の労務者の場合と異なるもののあることは前段説明のとおりである。
ロ 私企業の労務者の給料その他の労務条件は雇傭契約の際の労使間の契約により決定し、その後のこれが変更も労使間の協定によるべきことは当然であるが、公務員の任用の場合は、その給料その他の労務条件は私企業の労務者の場合と異り国又は地方公共団体において公務員制度に基き一方的に決定するところであり、その後の変更もまた前同様国又は地方公共団体の一方的に決定するところである。
地方公務員法第十四条に「地方公共団体はこの法律に基いて定められた給与、勤務時間、その他の勤務条件が社会一般の情勢に適応するように随時適当に措置を講じなければならない。」と規定し、また同法第二十六条に「人事委員会は毎年少くとも一回給料表が適当であるかどうかについて地方公共団体の議会及び長に同時に報告するものとする。給与を決定する諸条件の変化により給料表に定める給料額を増減することが適当であると認めるときは、あわせて適当な勧告をすることができる。」と規定し、国家公務員法第二十八条第一項、第六十七条もこれに対応する規定をしている。これらの各規定はいずれも前述のように公務員の給料その他の勤務条件が私企業の労務者のそれと異るもののあることを前提とするものであり、右各規定によつても社会情勢の変化により公務員の給料その他の勤務条件が国又は地方公共団体の一方的決定により有利に変更されることのあるのは勿論、時には不利益に変更されることもあり得ることを看取するに十分である。
ハ 公務員の昇給に関する利益が法律上の保護に値する利益であることと、時に国又は地方公共団体において適法に公務員に不利益に昇給期間を変更し得ることとは両立しないものではない。国又は地方公共団体において公務員制度の明文又はその精神に違反して変更したときに初めて利益侵害を惹起するにすぎない。前示認定事情の下において前示認定の程度の昇給期間の延伸をしても現行公務員制度を破る違法の処置ということはできない。
二、次に地方公務員法第五条第二項の規定に違反していないか。
岩手県議会が本件臨時特例条例第二十号案について被告岩手県人事委員会の意見を聞かず、本件臨時特例条例第十九号案については意見を聞いたが、反対意見であつたにかかわらずこれを議決したことは被告らの認めるところである。
しかしながら被告岩手県人事委員会は被告岩手県の一般職の職員及び県立高等学校教職員等の人事行政の運営に関する勧告及びその職員に関する条例の制定又は改廃につき岩手県議会及び被告知事に意見を申し出る権限を有するけれども、市町村立学校教職員の給与等についてはかかる権限を有しないから、岩手県議会が市町村立学校教職員の給与に関する条例の特例を定めた本件臨時特例条例第二十号案について被告人事委員会の意見を聞かなかつたのはもとより当然である。
次に第十九号案については被告人事委員会は意見を申し出る権限があり、また一方県議会は被告人事委員会の意見を聞かなければならないが(地方公務員法第五条、第七条)、この意見なるものは、勧告と同様可及的に尊重せらるべきものであるにとどまり、法的拘束性を有しないから、被告人事委員会が本件臨時特例条例第十九号の制定を好ましいものではないとして反対意見を申し出たとしても、県議会はこれに従うことなく議決したとしても差支えないのであり、もとより違法ではない。
この点の原告らの主張もまた失当である。
しからば本件各臨時特例条例第七条は何ら違法ではない。
よつて原告ら主張(一)(二)の各(1)の本件臨時特例条例第十九号及び第二十号の違法であることを前提とする、被告岩手県に対する、原告佐藤田二郎の右条例第十九号の公布処分中第七条に関する部分及び右条例中第七条の無効確認を求める請求並びにその余の原告ら十一名の右条例第二十号の公布処分中第七条に関する部分及び右条例中第七条の無効確認を求める請求はいずれもその理由がないからこれを棄却する。
第三、次に原告ら主張(一)(二)の各(2)の予備的訴に対する判断。
本件各臨時特例条例がいずれも昭和二十九年三月三十一日被告岩手県知事が岩手県報をもつて公布したことは当事者間に争いがない。
右各条例の公布処分中第七条に関する部分及び右各条例中第七条の取消を求める訴の出訴期間の起算日は右各条例の公布せられた右昭和二十九年三月三十一日であるといわなければならない。けだし、県報をもつて一般に周知の手段をとつた以上原告らは特段の事由のない限り当然その頃右各条例の公布の事実を知つたものと推認すべきところ、これを左右するに足る特段の事由の存在を窺わしめるに足る何らの証拠がないからである。しかして本訴の提起が昭和三十年三月二十四日であることは本件記録によつて明らかであるから原告らの右予備的訴は法定の出訴期間の経過後の提起にかかるものといわなければならない。この点の原告らの主張は失当である。従つて右予備的訴はいずれも不適法であるからこれを却下する。
第四、原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲及び佐藤田二郎主張(三)の訴に対する判断。
一、まず右(三)の(1)の訴について、
右(三)の(1)の訴は被告岩手県人事委員会に対する別表第三記載の各教育委員会のなした昇給措置の拒否処分の取消を求める訴である。被告らは右拒否処分事実を争い、昇給の請求に応ずることのできない旨の事実の通知にすぎないと主張するが失当である。
しかし被告人事委員会は右各教育委員会の上級監督官庁ではなく、昇給措置をなし得べき機関でもないから、同被告を被告として右各教育委員会の拒否処分の取消を求める訴は被告適格を欠くものといわなければならない。同原告らの右(1)の訴はいずれも不適法であるからこれを却下する。
二、次に右(三)の(2)の訴について、
本件各臨時特例条例に原告らの主張のような瑕疵のないこと前示認定のとおりであるから、別表第三記載の各教育委員会及び被告岩手県人事委員会が右各条例の執行力を肯定し右各条例に従つて行政処置をするのは当然である。
従つて右各条例の存する以上、右各教育委員会が右原告らの昇給措置を拒否したのは正当であり、何ら不利益処分をしたものということができないから、被告人事委員会が、右拒否処分を不利益処分としてなした右原告らの審査請求を理由なきものとして却下したのもまた正当であり、何ら非議すべき瑕疵を認め得ない。右瑕疵の存在を前提とする右原告らのこの点の請求はいずれもその理由がないからこれを棄却する。
第五、原告らの主張(四)の被告岩手県に対する金員の支払いを求める訴に対する判断。
本件各臨時特例条例に原告ら主張の瑕疵のないこと前示認定のとおりである。右各条例の存する以上原告らの昇給期間の延伸の行政処置を受けるのは当然である。原告ら主張のようなこの点の原因事実を認めるに足る証拠がない。原告らのこの点の本訴請求はいずれもその理由がないからこれを棄却する。
よつて原告らの各訴については前段説明のように棄却又は却下すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文により主文のとおり判決する。
(裁判官 村上武 梅村義治 佐藤幸太郎)
<別表省略>
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